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連載:第50回 組織作り その要諦

ホワイトから超ブラックを経て「理念浸透が東大レベル」へ。「贖罪」が経営の原動力

BizHint 編集部 2022年7月4日(月)掲載
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冷やして食べる「くりーむパン」で知られる広島・八天堂。同社の3代目・森光孝雅さんが入社後に手がけたパン屋は好評を博し、「日本一のホワイト企業」を自負する組織でした。しかし経営の悪化とともに超ブラック企業へ。その後、業態転換するも、人より事業を優先する状態は続き、理想とする「社員のための会社」とは程遠い状態に。しかし、くりーむパンのヒットの直前に理念・信条を明文化し、他企業に学び、自身の行動を変えながら、それを根気強く社内に浸透させていきます。「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の審査員から「理念浸透が東大レベル」とも言われた同社の組織づくりについて伺いました。※本記事は「前編:ヒット商品開発」「後編:組織づくり」の2回に渡ってお届けするシリーズの後編です。

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株式会社八天堂
代表取締役 森光 孝雅さん

1964年広島県三原市生まれ。大学を中退し、21歳よりパン職人として神戸市の名店で修行。1991年、26歳で家業に戻り「たかちゃんのぱん屋」を開業。最大で13店舗展開するも倒産危機に。卸売業に転換しV字回復した後、一点集中戦略に舵を切る。その後「くりーむパン」を大ヒットさせ、現在は海外にも展開する。著書に『人生、今日が始まり「良い品、良い人、良い会社つくり」への挑戦』(PHP出版)、『廃業の危機を味わって本気で取り組んだ人を大切にする 三方よし経営』(モラロジー道徳教育財団)がある。


前編はこちら:2度の経営危機とV字復活。八天堂の冷やして食べる「くりーむパン」誕生秘話

「日本一のホワイト企業」を自負していたのに、業績悪化でブラックに

――森光社長が家業に入ってすぐにオープンされた「たかちゃんのぱん屋」。業績や組織の様子を教えてください。

森光孝雅さん(以下、森光): 「たかちゃんのぱん屋」オープン後、3年くらいは、本当に良かったですね。パンがどんどん売れて、利益もたくさん出ていました。 当時から私は「社員に喜んでもらいたい」と考えていた ので、有給休暇を積極的に取得してもらったり、頻繁に旅行に連れて行ったり、表彰制度を設けたり、福利厚生も手厚くしていました。

繁盛しているパン屋なので、優秀な人材も集まりやすかったんです。社員・スタッフも多かったので、2交代制にして、店が忙しくても残業はほとんど無い状態でした。もちろん、残業すれば残業代もしっかり支払っていました。 「個人経営のパン屋では日本一の労働環境だ」と、自慢していた のを覚えています。

というのも、当時の個人パン屋といえば長時間労働が当たり前で、職人はむしろ「修行」のような感じで身を粉にして働いていたんです。当社は今でいう完全にホワイト企業で、みんなのびのび楽しく仕事していました。

ただ、4年目くらいから外部環境の変化にともない、経営が悪化していきます。既存店が赤字になってきたら、新店舗を出してそれを乗り切るという負の連鎖に陥っていきました。まさに自転車操業です。それを繰り返していくうちに、 「超」が付くレベルのブラック企業に変わっていきました。

週に1回休めればいい方で、中には2週間に1回しか休みがない人もいました。朝は早く、夜も遅い。正社員は、1日12~3時間平気で働いているような状態になってしまいました。

八天堂のくりーむパン。その誕生・ヒットまでには幾度もの経営のピンチがあった。

――働き方が一変してしまったんですね。社員の方々の様子はいかがでしたか?

森光: 疲弊し、どんどん離れていきました。

私も当然、そこに向き合いたい気持ちはありました。しかし、それよりも何とか利益をあげなければいけない、と必死でした。いま思えば、目先のことばかり考えて、本当に浅はかだったと思います……。

働いてくれる皆に対して「非常に申し訳ない」という気持ちはありながらも、一方で「こんな時なんだからもっと一緒にがんばってほしい」と期待してしまう気持ちもあって……。 それによって、つい欠点ばかり目について、責めてしまうこともありました。余裕がなく、自分自身を顧みることができていませんでした。

その後、パン屋は倒産の危機に追い込まれ、卸売業に業態転換することになります。最終的に、ほとんどの社員・スタッフが退職しました。全盛期に13店舗116名いた社員・スタッフは、1割も残りませんでした。

そんな中でも、私に「ついていきたい」と言ってくれる人はいました。でも、給料が払えません。だから「頼むから辞めてほしい、あなたの家族を思うとやりきれない。」と、説得して辞めてもらった人が何人もいます。今思い出しても、本当につらい出来事でした。

――そこから「卸売業」に業態転換された後、働き方は改善したのでしょうか?

森光: 卸売業に転換し、業績としてはV字回復しました。ただ、パン屋の頃は全盛期で4億円くらい売り上げていたものが、卸売業の頃は2億円弱くらいの規模だったと思います。社員・スタッフはパン屋の頃から残ってくれた5~6名ほど。急にホワイトになれる訳もなく……就労環境は決して良いとは言えませんでしたね。

当時は、「事業の成長」と「人の成長」なら、事業を選んでいた んです。ある程度、会社として経済的な余裕を持って安定させないと、人材育成や組織づくりはできないと思っていました。 私自身も、朝から晩まで働いていて、振り返ってみても気持ちの余裕はありませんでした。

――卸売業を3年間された後、ビジネスを「一品集中」へ方向転換されます。このとき、従業員の方々との関係は?

森光: 「パン作りをやめないでほしい」「将来が心配」など、多くの反対や不安の声が挙がりました。これまで長く一緒にやってきた人が「さすがにもう無理」と辞めていったりもしましたね……。 

多くの方に迷惑をかけてきた。経営の原動力の半分は「贖罪」

――組織の状態がよくない時期が続きますね。

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