連載:第40回 組織作り その要諦
目指して思うだけじゃ会社は変わらない。初対面での「録音」から始まる「挑戦する会社」の作り方
「会社、このままだとやばい…」。安定経営の家業に戻ってきた三代目が感じた第一印象です。広島県福山市にある制御盤の専門メーカー、株式会社制電社。企業城下町に位置する同社は長年「営業が不要な経営」を続けてきました。一見良好な経営環境も、時はリーマンショック後。中国の熾烈な競争の中で事業を営んできた時實豊さんには、自社が衰退し淘汰される未来が見えました。「挑戦する会社に変えなければ!」そう思うものの、何をすればいいかわからない日々。そんな中、変革に一緒に力を尽くしてくれるパートナーとの出会いから、同社は前に進みます。今回は、その経緯と社内に起きた変化を伺いました。
株式会社制電社
代表取締役社長 時實 豊さん
日本大学 工学部電気工学科卒。MCP、INPA取得。中国で北京制電社の総経理を5年就任後、2010年 現職に就任。弊社に入社する以前は、組込みLSI用のプログラミング、ネットワーク管理、及びITシステムのプロジェクト・マネージメントを行っていた。また、ISO9000外部品質保証規格取得時責任者、及び品質責任者の実績あり。
ブランディングテクノロジー株式会社
ブランドファースト事業本部 吉田 聖也 さん
入社2年目で広島営業所の立ち上げを経験。新規開拓営業として、800社以上の中四国・九州を中心に西日本エリアの中小企業のデジタルマーケティングに従事。 現在は手掛けた実績やノウハウを活かし、全国の中小企業様へブランド×デジタルマーケティング強化の必要性の啓蒙、推進に取り組んでいる。
企業城下町で安定経営のはずが…中国帰りの3代目に見えた会社の危機
――貴社の事業内容について教えてください。
時實豊さん(以下、時實): 当社は制御盤の専門メーカーです。世の中にはたくさんの自動機械がありますが、これらに電気を供給しコントロールしているのが制御盤です。開発から設計、製造、販売まで行っています。
特に印刷機械(商業オフセット輪転機)用の制御盤では高いシェアがあり、例えばアマゾンのダンボールに印刷をする機械は、当社の制御盤で動いています。
父が1981年に創業し、その後一時期母が社長を務め、僕は3代目になります。
――会社を継いだ経緯を教えてください。
時實: 僕は2004年に制御盤製造の会社を中国で起業し、家族と中国で暮らしていました。しかし2009年、母から「社長を交代したいから帰ってこい!」と電話がありました。聞けば、父が倒れたと。リーマンショック後のタイミングでした。
それで中国の会社は知人に任せ、家業に戻りました。経営状態は悪くはありませんでしたが、ただ一つだけ、見過ごせない問題がありました。
――どんな問題でしょう?
時實: 営業マンがいない。つまり、新規開拓をできる体制がなかったことです。
逆に言えば、それまでは営業活動をしなくても会社が回る状態だったわけです。というのも、当社が位置する福山市は日本鋼管さん(現JFE)の城下町。近隣の三原市には三菱重工さんがあります。この地域は、この二つの大企業に頼っている中小製造業が多いんです。当社も、そのうちの一社でした。
しかし世の中はリーマンショックという緊急事態の直後。中国で起業しゼロから市場を開拓してきた僕にとって、 「新規開拓ができない企業」の衰退する姿ははっきりと見えていました。
――どうされたのでしょう?
時實: もちろん、すぐに新規開拓の営業活動です。中国でお付き合いのあった日経企業は上場企業ばかりでしたので、そのコネクションが活きました。東京・名古屋を中心に全国を回り、足繁く通ううちに、徐々に「制電社さんに発注するよ」という言葉をいただけるようになりました。
現在、売上の半分ほどは、事業承継後に新規開拓したお客様です。もともとは同業他社に発注していたものを当社に変更していただくわけですから、相応な理由が必要になります。お客様の課題を一緒に考え、「どうすればそれを解決できるか?」というアプローチを続けました。
リーマンショック後で急を要するということもあり、まずは自分で新規開拓をしたわけですが、もちろんそれでは一過性のものになってしまいます。しばらく経って、あらためて制電社をどんな会社にしたいのか?また、自社にどんな解決があるのかを考えました。
「挑戦する会社」にしたい。しかし、何をすれば良いのかわからない。
――どんな会社にしたいと考えられたのでしょう?
時實: それまで「企業城下町での安定経営」をしていたわけですが、その終わりは確実に近づいてきます。ですので、新規獲得も含めた 「挑戦する会社」にしたい と考えました。
また、僕は37歳で家業を継ぎましたが、周囲からはずっと「若い社長」だと言われ続けました。仮に自分の子どもが同じ年齢で継ぐとしたら、僕は70歳まで社長を続けなければなりません。ですので 「自分の後を任せられる人材」「次の経営者」の必要性 は痛切に感じました。
そのような人材として在職中の従業員の可能性も探りましたが、個人で会社の連帯保証をできる人はそうそういません。
また企業城下町を飛び出して、商圏として世界を見据えると、漢字の「制電社」という企業ロゴもいつか変えたいと考えました。
――そのために、どのような手段を講じられたのでしょう?
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