連載:第95回 組織作り その要諦
社員のやりがいを奪っていたのは自分。先輩経営者の叱責で目覚めたリーダー、人が辞めない組織への軌跡


「売上と利益は出ているのに人が辞めていく」。今や売上高112億円、離職率5.9%と安定した経営を実現している株式会社ダイキチ。同社の事業部だったカバーオールの分社化に貢献し、ダイキチカバーオールの社長だった小田吉彦さんは当時、定期的な社員の離職に悩まされていました。転機となったのは、京セラ創業者・稲盛和夫さんが主宰していた「盛和塾」の経営発表会で、先輩方から叱責されたある一言。ここでの気づきが、「人が辞めない組織」を実現するための礎となっていくのです。詳しく伺います。

株式会社ダイキチ
代表取締役社長 小田 吉彦さん
1964年10月7日生まれ。1992年、株式会社ダイキチに入社。新規事業であるアートフラワー(造花)のレンタル事業部長として成果を上げ、1996年には事業部を法人化。株式会社ベレーロの取締役営業部長に就任。1999年、絶不調だったビルメンテナンス事業「カバーオール事業部」の営業部長に抜擢される。営業手法を刷新し、業績をV字回復させ、2002年にはダイキチカバーオール株式会社設立と同時に、代表取締役社長に就任。2022年5月に親会社である株式会社ダイキチとの合併に伴い、現職に就任。
盛和塾の経営発表会での叱責が組織改革の要に
——小田社長のご入社時からのお話を伺えますか?
小田吉彦さん(以下、小田): 1992年にダイキチに入社しました。その後、オフィスやマンションの清掃事業をフランチャイズ展開する「カバーオール事業」が業績不振だったことから、立て直しを図るため、営業部長に任命されたんです。
飛び込み営業からテレアポへと手法を転換し、営業プロセスの見直しなどに取り組んだ結果、3〜4ヶ月ほどで業績は次第と改善されていきました。京都や名古屋にも拠点を増やし、当初5〜6人だった組織を20人程度まで拡大できたのです。
事業は軌道に乗り、2002年にカバーオール事業部を分社化し、ダイキチカバーオール株式会社を設立。社長に就任しました。
その後、売上、利益ともに順調に伸びていきました。 ただ、なぜか定期的に人が辞めていくんです。 「なぜだろう?」自問自答の日々が続き、かなり頭を悩ませていました。
その理由がわかったのは、京セラ創業者・稲盛和夫さんが主宰する「盛和塾」で学ぶようになってから。 入塾からしばらくして経営体験発表の機会をいただいたのですが、そこで先輩方から厳しく叱責されました。
――何と叱責されたのでしょうか?
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バックナンバー (95)
組織作り その要諦
- 第95回 社員のやりがいを奪っていたのは自分。先輩経営者の叱責で目覚めたリーダー、人が辞めない組織への軌跡
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- 第91回 「お金の亡者」と言われたリーダーが大量退職で気づいた組織の本質。老舗企業に学ぶ自律型組織の勘所