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連載:第12回 ヒット商品を生む組織

2度の経営危機とV字復活。八天堂の冷やして食べる「くりーむパン」誕生秘話

BizHint 編集部 2022年6月27日(月)掲載
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広島・八天堂の冷やして食べる「くりーむパン」。2008年の発売以降、同社は毎年最高売上を更新し、近年では海外にも展開しています。しかしこの成功の裏には、多店舗展開による倒産危機、業態転換後に思い知った経営者としての限界など、2度の挫折がありました。それらを経て、同社の3代目・森光孝雅さんは先代・社員・取引先ほか誰からも賛同を得られない「一点集中」型のビジネスで、東京で勝負する道を選びます。今回は、大ヒット商品「くりーむパン」誕生の裏にあった森光社長の覚悟や、その商品開発のアプローチについて伺いました。※本記事は「前編:ヒット商品開発」「後編:組織づくり」の2回に渡ってお届けするシリーズの前編です。

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株式会社八天堂
代表取締役 森光 孝雅さん

1964年広島県三原市生まれ。大学を中退し、21歳よりパン職人として神戸市の名店で修行。1991年、26歳で家業に戻り「たかちゃんのぱん屋」を開業。最大で13店舗展開するも倒産危機に。卸売業に転換しV字回復した後、一点集中戦略に舵を切る。その後「くりーむパン」を大ヒットさせ、現在は海外にも展開する。著書に『人生、今日が始まり「良い品、良い人、良い会社つくり」への挑戦』(PHP出版)、『廃業の危機を味わって本気で取り組んだ人を大切にする 三方よし経営』(モラロジー道徳教育財団)がある。


民事再生・破産手続き。弟からの電話で気付いた「父には遠く及ばない」

――森光社長の社長就任・事業承継の経緯を教えてください。

森光孝雅さん(以下、森光): 当社は昭和8年に広島県三原市で祖父が創業しました。当時は和菓子店でしたが二代目である父が洋菓子を取り入れました。

私は大学を中退してパン職人の修行をしていたのですが、1991年、26歳のとき家業に戻り、三原市に「たかちゃんのぱん屋」をオープンさせました。「焼き立て」を売りにしたパンを販売したところ、すぐに軌道に乗りました。当時、三原市にはコンビニチェーン店も無く、また焼き立てのパンを出すお店は希少だったのです。

そこから8年間かけて店舗を拡大。最大で13店舗にまでなりました。しかし実は、その焼き立てパンの店は4年目くらいから勢いに陰りが見え始めていました。外部環境にも変化があり、コンビニや焼き立てパンを提供するお店が徐々に増えてきたのです。既存店の売上が減って赤字になる一方で、新しいお店を出して売上を確保するという状況が続いていました。当時の私は経営の知識も経験もなかったので、「それで良い」と思って拡大路線を続けていました。

そんなとき、取引先の銀行から電話があり、弁護士事務所に連れて行かれました。 そこで目にしたのは「民事再生手続き」と「破産手続き」に関する書類 。私一人が突っ走って多店舗展開してしまった末路でした……。

――倒産寸前の状態まで、追い込まれていたんですね……。

森光: はい。そんなとき、弟から電話がありました。「 兄さん、自分の貯金が2,000万円あるから、このお金で何とか店を立て直してくれ 」と。

実は、パン屋が拡大路線だったとき、私は父とうまくいっていませんでした。私はどんどん売上を増やしていたので、どこかで昔ながらの職人である父を見下していた所があったのかもしれません……。父の言葉には耳を傾けていませんでした。でも、弟からの電話で気付かされました。

弟には家族もあるのに、私に自分の全財産を託してくれた。弟をそんな人間に育てたのは紛れもない、父です。(私はこんな子供を育てられるだろうか…?)それに比べて、私は自分のことばかり。 『父には遠く及ばない…』心の底から思い知った瞬間 でした。

たかちゃんのぱん屋 広島本店の様子

業態転換しV字回復するも、再び陰りが。決断したのは「東京で、一品集中」

――立て直すために、どうされたのでしょう?

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