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連載:第13回 新規事業の作り方

新規事業立ち上げに二度失敗。背水の陣で挑んだ3度目の正直で目指したのは「価格」ではなく「価値」で選ばれる事業づくり。

BizHint 編集部 2022年12月7日(水)掲載
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若いころから家業を手伝ううち、跡継ぎの気持ちが自然と芽生えたという株式会社デクシィの杉田策弘さん。東京での下積みを経て実家に戻るも、家業の苦しい実態を目の当たりにします。新規顧客の開拓に苦労し、人材は離れ、価格競争の加速に苦しむなど、相次ぐ危機から廃業寸前にまで追い込まれました。そんな同社を救ったのは、新たな事業の柱に据えたコワーキングスペース事業でした。2012年当時、東京でも数店舗しかなかったコワーキングスペースを、需要ほぼゼロの浜松で始めたきっかけとは?杉田さんが見落とさなかった「新しい働き方」に業績回復のヒントがありました。

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株式会社デクシィ
代表取締役 杉田 策弘さん

1977年、静岡県浜松市生まれ。大学を卒業後、オフィス構築の企画・デザインから内装施工、家具のコーディネートまでを手掛ける東京の企業へ就職。オフィス家具の販売営業に携わる。2005年、28歳で地元に戻り株式会社エージェンシースギタ(現、株式会社デクシィ)に入社。2013年、代表取締役に就任。


様々な課題と共に受け継いだ家業。自社の価値について苦悩する日々

――貴社の事業内容を教えてください。

杉田 策弘さん(以下、杉田): 当社は浜松市を拠点にオフィスデザインとオフィス用物件の不動産仲介、そしてコワーキングスペース運営の3事業を運営しています。父が1975年にオフィス家具の納入業者として創業し、私が跡を継ぎました。

――「跡を継ぎたい」という気持ちは、どのように芽生えていったのでしょう?

杉田: もともと「将来は自分が継ぐことになるんだろうな」と何となく予感はしていました。10代の半ば頃から父の仕事を現場で手伝うようになり、オフィス家具や設計を扱う仕事を好きになるにつれ、「父の会社を継ぐんだ」という気持ちが自然と育っていったように思います。

その後、大学を卒業し、東京にあるオフィス環境の提案・構築を行う会社に営業職として入社しましたが、5年後に父が体調を崩したため、実家に戻ることになりました。

――杉田さんが家業に戻られたとき、会社の状況はどうでしたか?

杉田: 当時は、父が一人で営業を担っている状況でした。これは、父の“お客様にとことん親身になる営業スタイル”に再現性がなく、他の社員がなかなか真似できないことが原因でした。そのため、新しい社員が入ってきても離職してしまうことが続き、結局父が一人で営業をするような状況だったんです。そのため、新規顧客の獲得も難しく、売上も主要顧客の1社頼みになってしまいました。

順調とはいえない家業の様子と、東京で時代の変化を感じていたことから、これからは父とは違うやり方が必要だと直感していました。その後、

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