連載:第20回 躍進する企業の転換点
体操教室初の上場企業を目指す!怪我で夢をあきらめた創業者の新たなる挑戦
2009年に公民館ではじめた体操教室からスタートしたネイス株式会社は現在全国で60以上もの教室を持つ日本最大級の体操教室チェーンに成長しました。他の教室とは異なるネイスの「子どもの心を育てる」スタイルはどこから生まれたのか、今後100店舗を目指すネイスが考える新規事業とはなにか。創業者でもある代表取締役の南さんに新規上場を視野に入れたネイスのこれからについてインタビューしました。
ネイス株式会社
代表取締役 南 友介さん
大阪府出身、1999年、日本体育大学体育学部に入学、日本体育大学を卒業後、大手OA機器グループに入社。2009年に広告ベンチャー企業や人材関連会社役員などの転職を経て、独立。2010年にネイス株式会社を創業し、2011年には「ネイス体操教室」1号校を埼玉県川口市に開校。主力の体操教室事業、発達支援事業、運動器具等の製造開発事業の各事業を展開し、現在に至る。
――南さんは体操選手として活躍されていたそうですが、起業されたきっかけはなんですか?
南 友介さん(以下、南): 私は小学生から大学卒業までの間、体操に取り組んでいました。他のメディアでもお話をしていますが、同級生に2004年のアテネオリンピックで活躍した富田選手がいました。競技者として体操にまい進する毎日でしたが、足の怪我が原因で体操を断念せざるを得なくなりました。選手としてのキャリアをあきらめ、卒業後はサラリーマンとして7年ほど働き、その後ネイスの前身である体操を子どもたちに教えるビジネスを立ち上げました。
退職した理由というのが、仕事はやりがいがあって楽しかったものの、誰かに行動を強制されたり、決まりきったルーティンをこなすことが、もう駄目なんです。最近になって私がADHDだっていう診断が下りて、いろいろ納得したんですが、当時はそういうもやもやした気持ちがあって、ずっとストレスでした。ですから、仕事も自分の思うようにやりたいなという気持ちはずっとありました。ちなみに、幼いころから感じていた「自分は周りとはちがうのではないか」という経験から生まれたサービスが児童発達支援を目的とした「ネイスぷらす」というサービスです。
在職中から地域でやっていた起業セミナーに参加して、人生で長年親しんできた体操をもとにビジネスを起業しました。最初は、家に訪問してお子さんに教える家庭教師のようなやり方を考えていましたが、そうするとポスティングをいくらしても全く生徒さんが集まらない。気になってポスティング中に出会ったお母さんに聞いてみたら「家に来るのはちょっと…どこかでやっていませんか?」ということだったんです。
そこで、公民館の一室を借りてバク転や逆上がりを小学生に教えることにしました。このやり方に変えてからポスティングの効果もあったのか生徒も徐々に増えていきました。それから裏路地にある倉庫を借りて、DIYで作った教室がネイスとしては最初の店舗になります。
個人店舗ではリスクがあると思った、チェーン展開に踏み切った理由
――体操教室の多店舗展開はかなり珍しいですね?
南: そうですね、体操教室だけでここまで展開しているのはネイスだけだと思います。法人、個人含め複数店舗を運営している体操教室は日本にはほとんどありません。理由はいくつかあると思いますが、まず複数店を出していくという発想を持っていないんです。私のかつての同級生、先輩、後輩の中には体操教室を経営している人もおりますが、教室を2つ運営している人すらいません。
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