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連載:第8回 アトツギが切り拓く、中小企業の未来

「フェアネス」の精神を大切に、中小企業の“ものづくり”に必要な力を高める

BizHint 編集部 2022年8月30日(火)掲載
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1961年に金属加工品の一大産地として知られている新潟県の燕三条エリアで創業した三条特殊鋳工所。メーカーの下請けから出発し、現在は2代目の代表取締役である内山照嘉社長のもと、鋳物キッチンウェア「UNILLOY(ユニロイ)シリーズ」などでも注目を集めています。創業からの歩みや自社商品を開発するに至った経緯とあわせ、人材育成や生産管理体制、経営などのこだわりについてお伺いしました。

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株式会社三条特殊鋳工所
代表取締役社長(CEO) 内山 照嘉(うちやま てるよし) さん

1957年新潟県三条市生まれ。富山大学工学部金属工学科卒。大学卒業後、富山県の鋳物メーカーで2年間、そして大阪府にあるマテリアルハンドリング機器メーカーで1年弱の経験を積み、1982年より父親が創業した三条特殊鋳工所に入社した。その後、1997年の代表取締役社長就任と同時期にITバブル崩壊を体験。取引先の業績悪化を受けて業務改革に乗り出し、「自分たちの手で、誰からも愛される世界一のモノを作ろう」と自社商品の「ユニロイシリーズ」を開発した。


「勘と経験と度胸」「型の設計外注」という古い慣習からの脱却

――最初に、貴社が創業するまでの経緯を教えてください。

内山照嘉さん(以下、内山): 当社の創業は1961年。もともとは私の父が始めた会社です。父は高校を卒業して新潟県長岡市にある玉川機械金属株式会社(現在の三菱マテリアル 銅加工事業)に就職しました。当初は設計を担当する予定でしたが、研修でいろいろと見て回るうちに「鋳物が面白そうだ」と思ったようで、鋳物工場への配属を願い出たと聞いています。

ただ、父は鋳物の職人だったわけではありません。工場でも実際に製造作業を経験したことはなく、資材の調達を担当したり、最終的には鋳物工場の課長になって型の設計などを行っていたりしていたそうです。そんな中で独立のきっかけになったのは、工場に出入りしている材料屋さんとの会話でした。「脱サラを考えている」というような話をしたところ、「あんたが辞めるなら世話をするし、材料も入れてやる」と言われたそうです。そこで決意を固め、長岡市の隣にある三条市で三条特殊鋳工所を開業しました。

――当初はどういったものを作られていたのですか?

内山: 開業してすぐに新規の顧客が来るということはなく、最初は前の会社から仕事を発注していただいていたようです。初めて受注に成功したのは近所にある農業機械の会社。それから間もなくして、自動車の機械部品などを作っている株式会社リケンから、多くの仕事をいただけるようになりました。

当時の工場は、いわゆる昔ながらの「KKD」。つまり「勘と経験と度胸」ですね。まさに職人の世界といいますか、今でもスタンスを変えていない鋳物工場は多いかもしれません。

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