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連載:第19回 アトツギが切り拓く、中小企業の未来

素人と笑われても貫いた経営者の覚悟。工場閉鎖、全員解雇の末のV字回復

BizHint 編集部 2023年4月11日(火)掲載
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「へえー、いくらで売るつもりなの?」。取引先から「お嬢様の道楽」「おままごと経営」と笑われた新米社長時代。そんな批判を、大手にできない新製品で跳ね返したのが、東京・文京区で靴下製造を行うアイ・コーポレーション社長・西村京実さんです。明治35年創業の老舗は中国との価格競争に敗れ自社工場を閉鎖。従業員全員解雇という苦渋の決断をし、入社2年目で事業清算に携わった西村さんは「誰も幸せにならない絶望的な状況」を経験します。その後4代目を継承し脱・下請け、オリジナル製品開発で再起を図ります。おままごと経営からいかにして真の経営者への道を切り拓いていったのか?お話を伺いました。

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株式会社アイ・コーポレーション
代表取締役 西村 京実 さん

18歳まで親が営む靴下会社の岩手工場の傍らで過ごし、大学入学を機に本社のある東京に引っ越す。大学卒業後は約3年間海外に留学、帰国後、会社を継ぐための社会勉強としてビジネスコンサル企業~大手IT企業まで複数社で派遣業務を経験。2000年2月に家業である株式会社ウエストに入社。自社工場閉鎖など紆余曲折を経て、同社販売部門であった株式会社アイ・コーポレーションへ靴下事業全般を移管したタイミングで代表取締役に就任。


家業に入ったら、そこは江戸時代だった

――家業の靴下製造会社「株式会社ウエスト」に入社された頃、会社はどのような状況でしたか?

西村京実さん(以下、西村): 家業に入って最初に抱いた印象は「ここは江戸時代か…」でした。ただ、それを口にすると当時社長だった母から「長年やってきたことを否定するんじゃない!」と叱られてしまいましたが。

私は海外留学から日本に帰国した後、経営コンサルティングやIT系の会社で派遣社員として社会人生活をスタートさせました。いわゆる時代の先端をいっているような会社でしたので、家業の仕事の進め方や考え方が、とても時代遅れに見えたのです。

当時の会社は、狭い業界の中で、「長年の信頼関係」という言葉におんぶにだっこで生き永らえているように見えました。言葉にするととても生意気ですが、母や社員が見据える未来も近視眼的なもの…。

目の前にある業務を見れば、情報や仕組みは効率的に整理されておらず、連絡は口頭で、発注書と出荷数量が合わないのは日常茶飯事。大手との取引では自社がリスクを被る不利な契約やしきたりも一部で横行していて、かといって取引の履歴は残っていない…。 こんな非合理な組織があるのか? と素直に思いました。

母は、父が急逝して専業主婦からいきなり社長を継ぐ形になり、外の世界を知りません。こういった状況を打破するには、経験も味方になってくれる人材も足りないように見えました。

中国の工場視察から帰国した母が口にした「工場閉鎖」

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