連載:第23回 ヒット商品を生む組織
倒産寸前から売上6倍への勝ち筋を見つけた三代目。同業者が相次いで倒産していく斜陽産業でみつけた突破口
佐賀県武雄(たけお)市で昭和25年から三代に渡って豆腐製造業を営む老舗「佐嘉平川屋」。入社時から危機的状況にあったものの、通販事業の「温泉湯豆腐」が大ヒットし、会社は入社時から6倍(今期の7月決算で7倍になる見込み)もの売り上げを達成。会社はV字回復を遂げます。しかしその道のりは平坦ではありませんでした。三代目店主となる平川大計さんが家業を継ぐまでは廃業の危機に瀕していました。豆腐の値下げ競争激化や原材料費の高騰、技術承継の壁といった逆境を跳ね返し、事業を立て直した方法について聞きました。
株式会社佐嘉平川屋
代表取締役 平川 大計さん
九州大学大学院工学研究科終了後、運輸省(現国土交通省)に入省。数年間、港湾行政、航空行政に携わり、その後退職。2000年に家業の豆腐屋に入社。2006年には代表取締役に就任。2023年、72周年を迎え屋号であった佐嘉平川屋を社名とし株式会社佐嘉平川屋に改名。
「保証人にはなれません」を金融機関に言われた家業。タイムリミットが迫っていた
――旧運輸省にお勤めになっていたとお聞きしますが、公務員としていわゆる“堅い”お仕事ですよね。どうして退職を考えられたのですか?
平川 大計さん(以下、平川): もともと、運輸省港湾局という、ものすごく忙しい部署にいたのですが、航空局という部署に異動してからは多少の時間的余裕が出来まして。色々まわりが見えてきました。
当時は、堀江貴文さんのような若手起業家やITベンチャーが日本でも話題になるなど、私の周りでも起業がブームになっていました。一度、「リスクはあるが自分の力を試したい」と考え始めると、居ても立ってもいられなくなりました。もともと、思い込んだらそれしか見えなくなるタイプなので、そのまま、どんどん突き進んだ感じですね。
ですから、退職したものの具体的に起業プランを考えていたわけでもなく。「とりあえず実家で計画を練るか」という感じで武雄に戻ってきたんです。
――当初は家業を継ぐつもりはなかった、と。
平川: 私自身は豆腐屋を継ぐつもりはなかったし、親にやれといわれたこともないです。ただ、退職してもなんの準備もしていなかったわけです。起業するにしても人の雇い方すら知らないのはまずいと思い、1年くらい家業に入って経営を学んでから起業しようと当時は考えていました。
でも入ってみたらあまりにも状況がひどくて…おそらく創業以来一番苦しい時期だったと思います。本格的に家業に入ったのはそこからですね。
――当時はどのような状況でしたか?
平川: 私がこの会社に入社する3年くらい前に県内で一番大きいスーパーが倒産したんです。弊社としても当時一番大きな取引先でしたから、収入が大きく減少しました。そこから、借金に借金を重ねてなんとか持ちこたえていた。という状況です。
やっぱり、どこの会社でも会社の経営状態が悪くなってくると、頭の中がお金のことばっかりになるじゃないですか。
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