連載:第26回 ヒット商品を生む組織
V字復活の組織でリーダーが貫いた1つの本質。中小企業が隈研吾の小屋を売るまで
家業でクーデターが勃発。膨大な累積赤字に加え、社員の1/3が離職、倒産の危機に直面したのが岡山・植田板金店です。植田博幸さんはその状況下で実質的に経営を任されます。会社存続のためにがむしゃらに働くも、「独善的だった」と語る経営手法で孤立を深めていきます。しかし、とある外部要因・市場の大きな変化をきっかけに自身の考えと会社の方向性を変え、V字回復を達成。今や若い力が躍動する企業へと生まれ変わりました。その象徴が「世界的建築家・隈研吾氏とコラボした小屋」。「潰れるはずの会社だったが…」と語る植田さんに、その経緯を聞きました。
株式会社植田板金店
代表取締役 植田 博幸 さん
1973年植田板金店の次男として生まれる。高校卒業後、建築系の専門学校に進学するが中退、アルバイトに打ち込む中、母の勧めで家業に就職。2010年、多額の累積赤字を背負った同社の代表取締役に就任。その後「小屋やさん」など様々な挑戦を成功させ、12年連続増収、売上を3倍に伸ばす。2017年「岡山イノベーションコンテスト」大賞受賞。隈研吾氏とのコラボ商品「小屋のワ」で2018年グッドデザイン賞、同じく同氏の監修による「木庵」で2022年グッドデザイン賞を受賞。
創業社長に番頭がクーデター。顧客・社員引き抜きで「売上が落ちれば潰れる」状態に
――貴社では2001年に社内クーデターが発生し、大量離職をはじめとした経営危機が起こったとのこと。どのような経緯だったのでしょうか?
植田博幸さん(以下、植田): 創業社長の父に、現場のトップが反旗を翻す形です。
もともと当社のメイン事業は住宅の屋根や外壁まわりの工事で、いわゆるBtoBです。そこからBtoCに参入しようと、大手住宅総合メーカーのリフォーム事業にフランチャイズ加盟しました。1995年のことです。
もちろん当社にBtoCの経験はまったくありません。父は「広告もこれだけ打ったから、やれるだろ!」と強引に進めました。
これが本当にうまくいかず…とんでもない赤字が続きました。あっという間に会社が傾き、社内では雇用調整を進めるところまで追い詰められました。1998年に撤退しましたが、これが一回目の倒産危機ですね。
――当時、植田さんは何をされていたのでしょう?
植田: 会社を存続させるため、父と一緒に銀行で頭を下げ続けました。僕が横にいないとお金を貸していただけないからです。父は「後継ぎがおるから大丈夫!」と説明していましたが、事業計画も何もありません。ただただ頭を下げるしかありませんでした。
そうしてお金を工面しながら、一度は倒産危機を乗り越えたのですが、それから3年後の2001年…さらにひどい状況に追い込まれます。
この記事についてコメント({{ getTotalCommentCount() }})
-
{{comment.comment_body}}
{{formatDate(comment.comment_created_at)}}
{{selectedUser.name}}
{{selectedUser.company_name}} {{selectedUser.position_name}}
{{selectedUser.comment}}
{{selectedUser.introduction}}
バックナンバー (26)
ヒット商品を生む組織
- 第26回 V字復活の組織でリーダーが貫いた1つの本質。中小企業が隈研吾の小屋を売るまで
- 第25回 叱られまくった部下が会社を救えた理由。二人のリーダーの共通点
- 第24回 創業以来最悪の経営危機、10年赤字だった新事業…絶対にあきらめなかった経営者がピンチから学んだこと。
- 第23回 倒産寸前から売上6倍への勝ち筋を見つけた三代目。同業者が相次いで倒産していく斜陽産業でみつけた突破口
- 第22回 売上100万から3億へV字復活。売れる商品を生む組織「2つの絶対条件」