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連載:第8回 ヒット商品を生む組織

人と金の悩みがない会社を継いだのに…。社員17名、全国にファンを作れたたった一つの気付き

BizHint 編集部 2022年6月3日(金)掲載
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静岡県浜松市にある老舗ソースメーカー、鳥居食品株式会社。3代目を承継した鳥居大資さんが当初感じたのは、「経営改革に取り組みやすい会社」。ですが、蓋を開けてみるとそんな簡単なものではなく、ほとんど何も改革が進まないまま、10年ほどの月日が流れます。そんな同社のターニングポイントは、鳥居社長の“ある覚悟”。「どこでも購入できる商品」のポジションを諦めながらも、「浜松でしか買えないレアなソース」として全国から人気を集めるほどに成長した、社員数わずか17名の小さなソースメーカーの歩みについて聞きました。

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鳥居食品株式会社
代表取締役 鳥居 大資 さん

1971年静岡県浜松市生まれ。慶應義塾大学大学経済学部を卒業後、スタンフォード大学院にて修士過程を修了。1996年に三菱商事株式会社へ入社し、財務分析と商事法務の実務経験を積む。その後、ゼネラル・エレクトリック(GE)社にて同社の買収企業の内部監査を担当。2004年に鳥居食品へ入社し、翌年、代表取締役に就任。


「新しい人が入ってくれる」=「新しいことができる」ではない。家業に戻って気付いた厳しい現実

――貴社は大正13年創業、鳥居さんで3代目になられるそうですね。もともと家業を継ぐ予定で準備をされていたのでしょうか?

鳥居大資さん(以下、鳥居): いえ、2代目である父から跡継ぎの話をされたことはありません。私が大学進学とともに東京へ出て以来、「大きな会社に入って安泰な暮らしをしてほしい」と思ってくれていたようです。

ただ、私の中には「そうは言っても、いずれ跡を継ぐかもしれないし……」という思いがあり、新卒で入社した会社では、食品部門に配属希望を出しました。ですが、実際の配属先は食品とまったく関係のない審査部門。その後転職した会社でも監査を担当しました。家業からは離れる一方で(笑)。

ただ、そうして離れて、離れて、離れていったがゆえに、私は家業に戻れたのかもしれません。

静岡県浜松市において大正13年に創業した老舗ソースメーカー。主軸商品である「トリイソース」は昔から地元の工場や食堂、学校給食などに採用されている。国内唯一の製法で行う木桶熟成が大きな特徴。現在は地元だけでなく、全国各地から高い評判を得ている

――食品業界から離れたからこそ、家業に戻る決断をされたということですか?

鳥居: ええ。弊社は、社員数17名の小さな会社で、工場も1カ所しかありません。業界に詳しい人が見たら、継がないと考えるのが普通だと思います。しかし、その頃の私には、当社が経営課題のほとんどない「いい会社」に見えました。

当時の社員は1名を除いて全員60代。皆さんの引退とともに、改革に前向きな若い社員を迎えられる。建物や設備の減価償却が済んでいて負債はほぼゼロだったため、財務状況からしても「悪くない会社」。 人と借金の課題で悩まなくていい…なんて経営改革に取り組みやすい会社なんだ…!と。 家業の規模拡大を目標にしていた当時の私には、成長のポテンシャルにあふれた会社に見えたんですよね。

しかし、それは錯覚だったことにすぐ気付かされます。実際に入社してみたら、思っていたような経営改革なんてほとんど進めることができませんでした。 「数字上はすごく良い会社。入ってみたらすごく大変だった」 という状況で。

――実際には苦労が多かった…ということなんですね。

鳥居: はい。例えば「設備」。償却の終わった資産と言えども、年季の入った設備では、それを生かして新しいことに取り組むのはなかなか厳しかったという現実がありました。

社員も実際に2年間で大きく入れ替わったのですが、未経験者が簡単にソースを作れるわけではありません。もといた社員さんに教わりながら、日々のオペレーションを回すのが精一杯。私も含め、ソースづくりや新商品開発のノウハウや知識を持ち合わせていなかったのです。

「社長がやりたいと言っているその“新しいこと”って、どうやってやったらできるんですか?」と聞かれても、答えられず……。あらゆる企画が立ち止まってしまいました。

「新しい人が入ってくれる」のと、「新しいことができる」のはイコールではありませんでした。 そうした経営の現実に、会社に入ってから気付いたといいますか、やってみるまで気付けなかったといいますか…。これが、サラリーマンから社長になった私の最初の失敗です。

商品開発や新規開拓をはじめ、さまざまなチャレンジを仕掛けてきました。ですが、そのほとんどが実現できないまま終わる。そんな時期が10年ほど続いたのです。

先代のソースと向き合う。逃げない覚悟が活路となった

――思うように成果の出ない時期が10年も……。当時、売上の面ではいかがだったのでしょうか?

鳥居: チャレンジを仕掛けつつも、既存の企業向けのソースの売上が比較的安定はしていたので、大きく傾くといったことはありませんでした。

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