連載:第9回 ヒット商品を生む組織
たかがメンマとは言わせない。関わる人全員がメンマ製造に誇りを持てる会社を作る
多くの食材が海外から輸入される日本。ラーメン屋さんでお馴染みのメンマもほとんどが中国製です。そんななか、「従来のメンマのイメージを打破したい」と敢えて国産メンマの製造に挑んでいるのが、2013年創業の株式会社タケマンです。吉野社長は地域資源の活用や製造現場でのDX導入、ECサイトやソーシャルメディアの活用など、少しでもイノベーションにつながる可能性が感じられるものを積極的に取り入れてきました。そんな同社が最も苦労したのは「組織づくり」。従業員が「何のために働いているのか意味が見いだせない」と次々に離職する厳しい時期もありました。どう生まれ変わったのか。立ち上げから代表取締役社長を務め、2022年1月に会長となられた吉野 秋彦さんにこれまでの取り組みを伺いました。
株式会社タケマン
会長 吉野 秋彦さん
中国のメンマ産地と工場で生産管理に携わり、メンマ製造技術を習得。その後、メンマの新たな価値を創造するため、2013年に株式会社タケマンを設立。メンマを突き詰めて今年で20年の節目となり、「メンマしか売っていないお店です」という全国でも珍しいメンマ専門店をオープンし、一般消費者にメンマに親しんでもらうきっかけづくりを行っている。
消費者の本心が見えない。商流への疑問から独立を決意
――メンマ専門のメーカーとして独立。メンマに情熱をお持ちだったのですか?
吉野 秋彦(以下、吉野): いやいや(笑)たまたま、最初に勤めた会社がメンマを作っていただけです。8年近く勤務する中で、ずっとメンマの製造と開発に携わっていました。「中国で生産を勉強してこい」と言われ、現地工場で働いたこともあります。日本に戻ってきてからはメンマの原料管理や輸出管理、商品開発に携わっていました。それでも正直なところ、メンマそのものに特別な想い入れがあったわけではなかったですね。
ただ、 作り手として「作った商品をしっかり自分の手で確認し、自らでお客様にお届けしたい」とは思っていました。 メンマの業界は製造者からお客様の手許にモノが届くまでに何社かが介在していて、それぞれの会社はモノを右から左に流しているだけなんです。そういうのが嫌だったんですが、勤めていた会社でそれまでの商流を変えるのは現実的に考えて無理。ならば、独立しようと。
――右から左に流すとは?
吉野: メーカーから直接お客様のところにモノは届くのですが、商流としては何社かを経由します。 作り手は、お客様とは勝手に会話できません。どういう気持ちでその商品を選んで使っているのか、詳しく聞けないんです。 また、流通業者も何千何万ものアイテムを扱っているので、メンマ一つに執着していられません。
結局、メンマ業界では誰もお客様を見ていないということです。 その証拠に、メンマが日本で食べられるようになって今年で62年になりますが、商品自体はそれほど発展していません。
――メンマそのものではなく、商流やものづくりの在り方に疑問を持たれたのですね。福岡県の糸島で起業されたのにも理由が?
吉野: 国産の竹を探す中で、たまたま出会ったのが糸島だったんです。当初、独立する際の候補地として自分が生まれた福岡を考えていました。実際に福岡市西区に事務所や倉庫を構えたんですが、家賃が高くて。工場を作ろうと思っても色々な制限があって、「ここで製造業は無理」という話になり、隣の糸島市を見てみたら竹もたくさんあることを知りました。
――国内製造にこだわった理由は?
吉野: それまでのメンマに国産製がなかったからです。メンマが最も使われる料理はラーメンですが、ラーメンは日本で独自に発展し、様々なジャンルや文化が花開いていますよね。麺やスープだけでなく、具材にもこだわるお店は年々増加しています。
しかし、一つひとつの食材にこだわった一杯を作りたいと思っても、メンマだけは国産のものがない。国産にこだわりたくても、理想の一杯が実現できない状況でした。 何とかしたいと国産の竹を探す中で、工場の建設予定地として糸島の様子を見に来たら、竹がたくさんあることを知ったというわけです。
たかがメンマとは言わせない。試行錯誤の末に生まれた新しい国産メンマ
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