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連載:第27回 成長企業 社長が考えていること

地方で朝獲れたばかりの魚を空輸しその日のうちに東京の飲食店へ。 羽田市場が躍進を続ける理由とは

BizHint 編集部 2022年4月19日(火)掲載
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回転寿司の銚子丸をはじめ、塚田農場や四十八漁場(よんぱちぎょじょう)といった飲食チェーンで経営手腕を発揮した後、2014年に独立。現在は、空輸でその日のうちに飲食店に届けるという常識破りのビジネスモデルを作り上げた、羽田市場株式会社の代表を務める野本良平さん。その成功の秘訣は、常識にとらわれないアイデアと突破力。詳しくお話を伺いました。

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羽田市場株式会社
代表取締役社長CEO 野本良平 さん

1965年千葉県生まれ。高校卒業後、実家の食材卸会社に入社。その後、回転寿司の銚子丸に入社。エー・ピーカンパニーで四十八漁場を立ち上げ副社長に就任。柿安本店常務執行役員を経て、2014年に羽田市場を設立。鮮魚を空輸する仕組みを作り上げた。


数々の飲食チェーンで経営手腕を発揮

朝、地方の海で漁師が水揚げした魚を飛行機で運び、その日のうちに東京近郊の飲食店や小売店に提供する。朝獲れが価値を生んで高値がつけば、漁師は潤う。飲食店や小売店は差別化を図ることができ、消費者は美味しい魚を味わえる。そんな画期的なビジネスモデルを生み出して急成長を遂げてきた羽田市場。この会社を2014年に立ち上げたのが、野本良平さんだ。

「水産の世界は特殊で複雑です。地元でも競りが行われ、それを仲買が豊洲に持ってくる。地域によっては、東京に来るまでに11社もの中間流通業者が入るところがあるんです。こうした状況を透明にしていくことは、意味あるチャレンジだと思いました。大変ですよ。でも、大変だからこそ、やりがいがあるんです」

東京駅には直営の「羽田市場食堂」「魚と日本酒 羽田市場 常盤橋タワー」、東京駅構内にFCの回転寿司、居酒屋業態の合計4店舗を構える。

高校卒業後、実家の食品卸会社を手伝い始めるも、問屋には将来がないと気づいた。中国から原材料を仕入れて日本で加工、販売をする事業を立ち上げ、大きな成功を得る。その後、家業は任せて回転寿司の銚子丸に入社。上場まで成長を支え、役員になった。ところが、当時まだ10店舗ほどだった居酒屋チェーン、エー・ピーカンパニーに転職してしまう。理由は、地鶏農場を持っていたから。

「中国で仕事をしていたとき、一次生産者がものすごく貧しかったんです。でも、欧米の一次生産者はそうではない。理由は流通なのではないか、と思っていました。問屋がなくなると思って製造事業を始めたわけですが、いずれはニワトリを飼っている人がヤキトリ屋をやる時代が来ると当時から思っていたんです」

先見の明を感じた。自分が行けばこの会社は化けると確信した。実際、農場の鶏を使った「塚田農場」はその後大躍進。漁師直結の「四十八漁場(よんぱちぎょじょう)」も生み出し、会社は東証一部上場企業になった。自身も副社長に。その後、2013年には柿安に転じ、2014年に独立した。

水産業の常識を覆す空輸で産直というアイデア

独立後に飲食業のコンサルティングの仕事を始めたが、改めて水産業の課題に直面する。

「漁師の収入は下がり続けていました。そこで、いい漁師を飲食店に紹介しようとしたんですが、うまくいかなかった。飲食店は仲卸と同じ感覚で、平気で注文をキャンセルしたりするからです。それでは漁師は困ってしまう」

中間流通を排除して産地直送にする、というのは一つのアイデアだが、実は誰も成功していなかった。

「産直というのは、ある程度のボリュームがないと品質が安定しないんです。あとは、物流の問題です。豊洲に送るなら1ケース100円で済むコールドチェーンができている。それを宅配便で送れば、10倍以上かかる。中抜きをやっただけでは生き残れないんです」

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