連載:第8回 躍進する企業の転換点
工場はスタジアム、社員はアスリート。社内に「誇り」をもたらしたある施策
広告代理店勤務を経て家業の鉄鋼業を継ぐことになった三村さん。そこで目にしたのは3Kと呼ばれる職場で一人何役もこなして働いてくれている社員の姿でした。「社員にもっと誇りを持ってもらいたい」と、創立50周年の節目で「会社の価値を改めて言語化」したそうです。中小企業のPRについて相鐵株式会社 代表取締役社長 三村 泰洋さんにお話を伺いました。
相鐵株式会社
代表取締役社長 三村泰洋さん
1977年生まれ。大学卒業後、6年間の広告代理店での勤務を経て相鐵株式会社に入社。2009年代表取締役社長に就任。2014年の創立50周年には記念式典を行い、「相鐵の仕事を、スポーツに。」のキャッチコピーを掲げる。2019年には「はばたく中小企業300社」に選定。
広告代理店を経て町工場を継いだ二代目
欧州サッカーチームをモデルに、真っ赤なロッカールームも新設
工場の壁面に描かれた「STADIUM(スタジアム)」の文字、四方が真っ赤に染められたロッカールーム……。茨城県・日立市にある鋼材加工メーカー「相鐡株式会社」には、サッカースタジアムのような意匠があちこちにちりばめられている。これらはすべて、2014年の創業50周年を機に「相鐵の仕事を、スポーツに。」というキャッチコピーとともに生まれたものだ。仕掛け人は、二代目社長である三村泰洋さん。彼が斬新なPR企画にチャレンジしたのは、社員に誇りを持ってもらいたいという想いからだった。
「相鐡は、1964年に父がゼロから立ち上げた会社です。厳しかった父から『お前には継がせない』と言われていたこともあり、大学卒業後は広告代理店に就職しました。しかし、社会人になって6年目の2005年春に、母から呼び出されて。『お父さんの肺に影が見つかって、会社も赤字で……どうか会社を継いでくれないか』と涙を流しながら言うんです。それから同年の12月に、相鐡で働き始めました。のちに、その時の母の言葉は真っ赤な嘘だったと知るんですが(笑)。作家としても活動していた母が、なんとか息子を呼び戻そうと一芝居打っていたんですね」
畑違いの業種から家業に入った三村さんが目の当たりにしたのは、3Kとも呼ばれる鉄鋼業の現場で、ひとり何役もこなしながら汗を流す社員たちの姿。その姿へのリスペクトがさらに増したのは、2011年の東日本大震災のときだったという。
「当時は日立市も震度6強を観測しました。その上、福島の原発にも近いエリアです。原発事故の状況によっては、避難区域になる可能性もありました。 ライフラインも繋がらず、先の見えない状況のなか、社員たちは会社をなんとか復旧しようと、全力で動いてくれて。そんな彼らを見て、この会社をより良くしなければと強く思いました」
ブルーカラーの仕事に誇りを持ち、前向きに働いてほしい。そして50周年の節目で社員たちを喜ばせたいと、自身の過去のスキルを活かしたPR企画が始まった。
50周年の節目に掲げた「スポーツ化」宣言
各工場の名称も「スタジアム」に変更
前職の繋がりから、クリエイティブディレクターやコピーライター、写真家などへ声をかけ、チームを結成。新たに会社のホームページや動画をつくるために取り組んだのは、会社の価値を改めて言語化することだった。
「この会社の強みは『少量多品種』と『短納期対応』。ひとつの製品を大量につくるのではなく、数千種類の製品を一個ずつ、短い時間でつくる仕事がほとんどでした。だから社員のパフォーマンスを上げるためには、一個一個の仕事に細かく指示を出すのではなく、大きなルールだけ決めて、あとは自分たちで考えながら動いてもらうしかない。それって、スポーツでいう『監督』と『選手』の関係に近いんじゃないかと思ったんです。一人一人が自分を『アスリート』と捉え、監督である僕の設定した目標のもと、自分たちで判断しながらパフォーマンスを最大化してもらう。そうすれば会社の売り上げを伸ばすことにも繋がるし、なにより自分たちの仕事に誇りも持てるんじゃないかと」
コーポレートカラーを設定し、50周年ムービーとして営業や総務、設計、 製造、配達部門の5人の社員にそれぞれ密着したムービーも制作。新しく建てた第7スタジアム(工場)で開かれた記念式典でムービーを流すと、涙を流す社員もいた。
「BtoBのものづくりを行う中小企業では、営業は社長しかしないという会社も多いです。そのため『自分の仕事をどうやってお客さんに説明するか』という発想自体も生まれづらい。だからこそ、会社の価値を言語化し、社内で共有する効果は大きかったです」
その後、50周年企画を行った2014年以前は200〜250社程度だった取引先の数は、現在、約400社まで増加。また、社員数も2014年と比較すると約1.5倍に。2014年以降は採用が集まらずに苦労することはなかったと三村さんは語る。
鉄鋼業界の変化と次への一手
会社の価値を言語化し、社内で共有することで社員みんなのモチベーションがアップした
相鐡のある日立市は、日立製作所の企業城下町。しかし、2014年のタイミングで、相鐡の仕事のメインを担う「重電」分野を縮小する長期計画が日立製作所から発表されていた。
「中長期的に見て、新しい分野を開拓する必要を感じていました。そこで、完成品の一部の部品だけを納品するのではなく、図面ごと預かり、他メーカーとのネットワークを活かして製造を行い、完成品を納品する『図面まるごと受注』にも2015年から挑戦しています。ここ数年は近隣にあるメーカーとグループ会社として提携し、ネットワークを広げることにも取り組んでいますね」
昨今、鉄鋼の主要メーカーが国内の鉄生産量を抑える動きもある。市場規模が縮小するなかで、「少量多品種・短納期」の強みを活かし、お客さんのもとへ足を運んで営業提案するスタイルに可能性を感じているという。
「父の跡を継いでからは自分にできることを考え、ひとつずつ積み重ねてきました。相鐡においても、50周年を機に自分たちの強みを言語化して発信してきたら、結果的に時代のニーズにも合っていた。生き残る道はこちらだと信じ、これからも行動していきます」
(取材・文/鈴木雅矩 写真/石川慶和)
⇒この記事はBizHintマガジン No.11 「この中小企業のPRが上手い!」に掲載したものです。
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