連載:第6回 躍進する企業の転換点
大きな事故をきっかけに数値目標を撤廃。頭ではなく心で考える経営に方針転換
食品やその原材料の輸送を中心に事業を展開している大阪府高槻市の宮田運輸。現社長の宮田博文氏が社長に就任した翌年、社員による死亡事故が発生したことをきっかけに、経営方針を大きく変えたそうです。それ以降、業績を伸ばし、社員募集をすれば応募が殺到しているのだとか。事故から何を学び、どう会社を変えていったのか、宮田社長にお話を伺いました。
株式会社宮田運輸
代表取締役社長 宮田 博文さん
18歳で祖父が立ち上げた宮田運輸に入社。ドライバーとして経験を積んだ後、2012年に4代目社長に就任。トラックの荷台に子どもの絵をラッピングし事故抑制につなげる「こどもミュージアムプロジェクト」が注目を集める。著書に『社長の仕事は社員を信じ切ること。それだけ。』(かんき出版)がある。
創業者の時代からあった従業員を大切にする文化
大阪府高槻市で祖父が作った物流会社、宮田運輸の4代目社長に、宮田博文さんが就任したのは、2012年のことだった。
「当時の会社は今の半分くらいの規模でした。従業員を大切にする文化が、祖父の時代からありましたね」
祖父は、儲けたお金はみんなで分けよう、と常に言っていた。2代目社長の叔父は毎朝6時半に仕事服姿で従業員を送り出すのを日課にしていた。3代目の父は従業員の誕生日に明石の鯛を贈ったりして喜ばれていた。宮田さんは、この文化を守りながらも、地域社会や未来の子どもたちも大事にできる会社を作ろうという壮大なビジョンを打ち立てた。そして新しい組織のもと幹部合宿を開く。ここで生まれたのが、25年後の70期に売上高300億円、利益37億円、社員数2000人の事業体になろうという目標だった。
「社長になって気が張って、力が入っていました。もっと会社を大きくしたかったし、親父を超えてやれ、という気持ちもあった。でも、何より 会社をつぶしてはいけないという不安と恐れが大きかった んです。この目標が、従業員を守ることだと信じていました」
数字を厳しく追うほどに社員の心はどんどん離れて
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