連載:第7回 新規事業の作り方
当初は猛反対した町工場のM&A。4社の力を結集し、オープンイノベーションで世界を顧客に
プレス金型メーカーとして、1967年に横浜で創業した株式会社ニットー。廃業予定だった地元企業3社をM&Aし、各社の雇用と技術を守りながら製品開発から量産までの一貫生産体制を構築することで事業を拡大しています。直近では医療従事者の手術中の負担を軽減する「身につけて歩ける椅子『アルケリス』」を開発し医療業界にも進出。今回、同社の多角化経営を支えるM&Aについて、2代目社長の藤澤 秀行さんにお話を伺いました。
株式会社 ニットー
代表取締役社長 藤澤 秀行さん
横浜国立大学工学部卒業。2006年、ニットー代表取締役に就任。横浜市内の中小製造業3社の友好的M&Aにより、社内で開発、設計から金型、量産までの製品一貫生産体制を実現。自社製品開発にも積極的に取り組み、オリジナルスマートフォンケースはクラウドファンディング等を活用し、世界43ヶ国への販売実績を築く。医師の長時間手術をサポートする、世界初の身に付けて歩ける椅子「アルケリス」を産学連携で開発。国内外から大きな注目を集めている。
技術も品質も足りなかった実家の町工場。技術力で負けない会社に変えてみせる
――藤澤さんが家業を継ぐまでの経緯をお教えください。
藤澤秀行氏(以下、藤澤): プレス金型メーカーとして父が創業したニットーは、1階が工場、2階が自宅という昔ながらの町工場でした。両親と社員が休みなく働く姿を見て育ち、「この仕事は大変そうだ……」と思いながらも、彼らに育ててもらった恩を感じていたので、ゆくゆくは自分が継ぐんだろうなと考えていました。とはいえ会社を継ぐ前に他の会社での経験を積んでおきたくて、大学卒業後に入社したのが世界シェアトップの大手バネメーカー「日本発条 (ニッパツ)」です。
家業を継ぐ前に大手メーカーに入社してみて良かったことは、しっかりとした研修プログラムがあったことですね。基本的なビジネスマナーの講習に始まり、日本全国にある工場での実習など、半年間の研修を経て現場に配属されました。そのことで、社会人としての仕事の取り組み方はもちろん、会社全体のことも知ることができました。
配属先は、私が関わりたかった開発部門でした。そこでは、大手企業ならではのしっかりとした組織・システムを活かした仕事を学ぶことができ、また上司先輩にも恵まれ、様々なチャレンジができました。入社2年目、日本発条の社長とフィンランドに出張できたことは貴重な経験でしたね。
これらは大手企業でなければなかなか体験できないことですし、その経験は私の仕事への取り組み方のベースになっています。もちろん、ニットーの経営においてもとても役立っています。
――その後、どの様にしてニットーに戻られたのですか?
藤澤: 製品開発部への配属後、セキュリティ端末の開発を担当して2年半経ったある日、父から「人手が足りなくなったから戻ってほしい」と言われてやむなく退社し、家業に戻りました。
私が入社した1997年当時のニットーは自動車部品のプレス加工用金型を作っていて、社員数は10名、売上は8000万円という規模でした。ニットーへの入社直後、前職であるニッパツに「ニットーとして何か仕事をいただけないか?」と打診してみたのですが、ニットーの技術や品質では十分とは言えなかったため、すぐに仕事をいただくことはできませんでした。
これにはショックを受けましたね。本当に悔しかった。この時、小規模でも技術力で負けない会社に変えてみせると固く決意しました。
そこで、私がまず取り掛かったのは、整理・整頓・清掃・清潔・躾の「5S」の推進です。
新卒として入社したニットーでは「工場運営において『5S』は仕事の基本である」と叩き込まれていました。同社に限らず、自動車関連はもとより日本のほとんどの工場で5Sの重要性は掲げられています。そんな中、ニットーはものづくりの基本である5Sがまずできていなかったのです。
工場内が散らかっていると危険ですし、品質管理にも支障が出ます。何よりも、お客様からの信頼を失いかねません。しかし、社員の多くは父と同世代。私のような若造が会社で何かしようすると、よくある話ですが「おまえは何を言ってるんだ」となるわけです(笑)。清掃のためにゴミを拾う暇があるならひとつでもモノを作れ、という環境でした。
時代が流れ、働き方も変わっていく中、若手の後継者がベテランの社員とぶつかることはよくありますよね。
私がラッキーだったのは、工場長が私に協力してくれたこと。彼は、私が小さい頃からニットーで働きながら面倒を見てくれていた人で、私が様々な改革に踏み切った時も「やってみようか」と言ってくれました。工場長が私を立てて応援してくれると、現場にもその雰囲気が伝わります。彼のおかげで5Sが社内に浸透していきましたし、私が他の社員達と打ち解けられるきっかけにもなってくれたように思います。
この5Sの取り組みは、効率化・品質向上・原価低減・組織力向上など、目に見える形で表れました。
父の決断に猛反対したM&A。前向きに取り組み、今では自社の強みに
――新卒時代に「仕事の基本である」と教えられた5Sに立ち返り、子供の頃から可愛がっていただいた工場長の支援も受けられて、後継者としての第一歩をふみだされたわけですね。次にお聞きしたいのですが、御社の現在の強みとなっている、M&Aはどのようにスタートしたのでしょうか?
藤澤: 最初のM&Aは、2004年に地元の金属加工メーカーの社長が病に倒れ、当時ニットーの社長だった父に相談があったことがきっかけです。
「後継者が見つからず、しかも借金があって会社を畳めない。ぜひ、ニットーに引き継いでもらいたい」と。
当時、専務だった私はこのM&Aに猛反対しました。今後、自分がニットーを継がなければならない不安やプレッシャーがある中で、わざわざ借金のある会社を引き受けるなんて重荷だと考えたためです。
藤澤さんが社長に就任した2006年当時のニットー。その後も地元横浜の廃業寸前の中小企業を友好的にM&Aをしていき、事業は拡大していった。
しかし、父は長年付き合いのある社長を助けたい一心で買収を決意しました。私は 納得がいかなかったものの、一度決まったことには前向きに取り組もうと、その工場の経営を担当 するようになりました。
当社が吸収合併したこの金属加工メーカーは長年、量産加工から組立までの仕事を行ってきた会社でした。ニットーはその前工程にあたる試作・金型製作を行ってきたので、2社が融合することは先方の従業員の雇用を守るだけでなく、結果として、ニットーが短期間で設備と人材を獲得し「できること」が増えることに繋がりました。
その後も、さらに2社とM&Aを行いました。
当社の仕事が増え工場の拡大を考えていた時、アルミ加工を得意としていた企業から廃業間近だと聞いたんです。実際に工場に伺ってみると、技術も設備も申し分ない状態で稼働しています。このまま廃業してしまったらもったいない―。そう思った私は「当社が従業員も設備も技術も引き継ぎます」と先方に申し出ました。結果、この企業が抱えていたお客様にニットーの技術で対応できるようになったり、ニットーのお客様にも新しく提案できることが増えたりして、さらに事業を拡大することができました。
3社目は、厚板加工を強みとしていた企業です。「私は60歳になったら会社を畳もうと思っている。良かったらニットーに事業を継いでもらいたい」と相談をいただきました。この企業をM&Aし、技術も設備も人材も全て引き継いだ結果、先の2社の時と同様に技術力も拡大して、製品の設計から量産まで、製造・生産に関わること全てをニットーで行うことができるようになりました。
――藤澤さんからご覧になって、M&Aにはどんなメリットがありますか?
藤澤: 1つ目は、先方の従業員の雇用が守られ、高齢の社長も安心して引退できること。廃業の悪影響を回避でき、取引先も安心できます。2つ目は、短期間で自社の事業拡大ができること。製造業が新事業を立ち上げる場合、設備を買い、従業員を雇い、新たな取引先を探すという手順が必要になりますが、ニットーの場合はM&Aでそれを一気に獲得できました。3つ目は、その企業が長年培ってきた知識と技術を守り、次の世代に継承できること。自社だけでなく日本にとっても技術を守ることは大切だと考えています。
――M&Aなさった3社以外にも打診はあったかと思いますが、引き受けるかどうかの決め手はありますか?
買収を決めた会社も含め、案件はそれぞれに異なっており、同じ部分を見つけることの方が難しいくらいです。いずれの案件にもメリットとデメリットがあり、「この条件に合致したら買収する」と一概にいうことはできません。
この記事についてコメント({{ getTotalCommentCount() }})
-
{{comment.comment_body}}
{{formatDate(comment.comment_created_at)}}
{{selectedUser.name}}
{{selectedUser.company_name}} {{selectedUser.position_name}}
{{selectedUser.comment}}
{{selectedUser.introduction}}