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戦略・経営

2019年5月27日(月)更新

創業130年の繊維メーカーを率いる30代社長、「時代に合わせてしなやかな変化を」

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プロ・リクルーター、河合聡一郎さんによる事業承継のヒントを探る連載。今回は岐阜県・羽島市で創業130年を誇る老舗生地メーカー・三星毛糸株式会社の5代目社長、岩田真吾さんにお話を伺います。会社があるのは古くから日本有数の織物産地として知られる尾州地域。しかし、事業は織物のみにとどまらず、樹脂事業や自社ブランドの展開など、時代とともにしなやかな変化を遂げてきました。東京で総合商社、外資コンサル勤務を経験した岩田さんが、地方の中小企業に飛び込んだ理由とは。

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岩田 真吾さん

1981年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、三菱商事株式会社、ボストン・コンサルティング・グループを経て、2009年に三星毛糸株式会社・三星染整株式会社・株式会社ウラノスに入社。2010年、代表取締役社長に就任。


創業130年、時代に合わせて事業を変えてきた

岩田真吾(以下、岩田): 会社は約130年前の1887年、綿の艶つけ業として創業しました。艶つけとは、布地を砧(きぬた)と呼ばれる石の上に置き、木槌でたたいて艶をだす技法です。ここ岐阜県・尾州は木曽川流域の豊かな自然環境に恵まれ、古くから織物業が盛んでした。現在は生地の製造や染色・整理加工を手がけています。

河合聡一郎(以下、河合): 現在は綿だけにとどまらず、ウールなどの生地の加工、樹脂事業と幅広く展開されていますよね。どういう時代背景やきっかけがあったのでしょうか?

岩田: 戦争の時代が一つの大きな転換点です。満州など寒冷地に出征する兵隊が増えるにつれ、ウール製の軍服や毛布の需要が飛躍的に伸びました。さらに、戦後の高度成長期になるとナイロンやポリエステルなど合成繊維のニーズが高まり、同時に合成繊維に着色する技術も発達します。そこから樹脂事業が発展していった、という流れです。

河合: 130年のあいだに、時代の変化に応じた事業を展開されている。それだけ繊維業は時代の影響を大きく受けてきた産業でもありますよね。

岩田: かつて、日本の繊維製品は海外への主要な輸出品目でした。高度経済成長期は1ドル=360円でしたから「1ドルブラウス」と呼ばれる日本製の低価格の衣服がアメリカの経済をひっ迫し、日米の貿易摩擦問題に発展するほどでした。しかしバブル期をピークに、繊維産業の市場規模も縮小の一途をたどっています。 弊社の売上もリーマンショック後の落ち込みから回復したものの、市場全体としては厳しい状況 です。

近年、繊維産業では中国メーカーの台頭が著しく、大量生産・大量消費が進み、衣料品の購入単価も下がっています。グローバルなサプライチェーンの問題や、人材不足の課題もあり、さらなる変革が問われています。

三星には女工さんが1000人ほどいた時代もありました。しかしいまは100人程度です。繊維業の人員削減を余儀なくされたとき、我々の会社には樹脂の事業があったので、配置転換できて会社を存続できている。確かに大変な状況を乗り越えてきたのですが、 俯瞰して見てみたら、時代に合わせて会社も変化して当たり前だなと思う んですよね。

三菱商事、BCG、会社員の経験を地方で試したい

河合: そもそも、岩田さんが家業を継ごうと思われたのは、どういう経緯からだったのでしょうか? 大学卒業後、三菱商事やボストン・コンサルティングを経験されて、家業を継がれましたよね。将来的に継ぐ意思があった上で外部企業に就職したのか、あるいは働くうちに意識が変わっていったのか。そのきっかけを教えていただきたいです。

岩田: 18歳までは将来自分がサラリーマンになるなんて1ミリも想像していませんでした。岐阜や愛知は地元志向が強い土地柄です。自分はいわゆる末っ子長男で、内孫の中でも一番年下。子供の頃からずっと家業を意識してきました。

ところが、地元の高校から慶應義塾大学に進んで「世界が広い」ことを知ると、将来の選択肢が家業だけではないと気づいたんです。それから、当時インターンシップが流行り始めていて、博報堂のインターンを経験しました。そこで大企業のダイナミズムを体感して、家業ではなく商社に進むことを決めました。

河合: なるほど、そうだったんですね。会社員時代はどのような経験をされてきましたでしょうか?

岩田: もちろんたくさん学びがありました。ただ、いい意味で総合商社は自分には大きすぎたというか……時間軸の違いは感じました。大きなプロジェクトを自分がリーダーとして動かしていくには十年以上の経験が必要となるなかで、もっと小さな規模でもいいのでトライアンドエラーを繰り返していきたいと思うようになり、外資系企業の中でも特にスピード感があるコンサルティング・ファームに転職しました。

河合: 企業での経験を積むうち、指向性が変化されていったんですね。その上で経営者と言う選択肢も出たと思うのですが、家業を継がれる以外にもご自身で起業をされると言う選択肢は選ばれたりしなかったのでしょうか?

岩田: 確かに起業も考えました。しかし、誤解を恐れずに言えば、起業は誰にでもできます。「起業か? 家業を継ぐか?」の2択を考えたとき、「一度だけの人生なら、自分にしかできないユニークな方を選択したい。東京で学んだことを自分の地元で試してみたい」と思って、家業を継ぐことに決めました。

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