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連載:第26回 プロ・リクルーター、河合聡一郎さんが聞く【事業承継のカギ】

32歳の専業主婦が町工場を継ぎながら、リーマンショックを乗り越えた話

Logo markBizHint 編集部 2019年11月15日(金)掲載
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プロリクルーター・河合聡一郎さんによる事業承継のヒントを探る連載。今回はダイヤ精機株式会社代表取締役社長の諏訪貴子さんにお話を伺います。町工場の集積地・東京都大田区で自動車部品のゲージや金型などの精密金属加工を主事業とする同社。創業者の娘として生まれた諏訪さんは、専業主婦として夫のアメリカ転勤を控えていたある日、父の急逝に伴い2代目社長に就任します。バブル崩壊後の経営難に苦しむ会社の再建に乗り出した矢先、2008年のリーマンショックが襲い──。日本のものづくりを支える小さな町工場の事業承継とは?

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ダイヤ精機株式会社

代表取締役 諏訪貴子さん

1971年東京都生まれ。成蹊大学工学部卒業後、ユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)に入社。エンジニアとして働く。98年ダイヤ精機に入社し出産と同時に退社。32歳(2004年)で父の逝去に伴いダイヤ精機社長に就任し、経営再建に着手。自社の40年分の経営データを読み解き、さまざまな改革を実施した。バーコードを活用した生産管理システムを導入して取引先への対応力やコスト管理力を高めるほか、熟練技術の若手社員への継承などにも意欲的に取り組み、中小製造業が直面する課題を次々と解決してきた。新しい社風を構築し、育児と経営を両立させる若手女性経営者として活躍中。


32歳の主婦が突然町工場を継ぐまで

河合聡一郎さん(以下、河合): 諏訪さんの事業承継のストーリーは書籍やドラマ化もされていますが、家業の継ぎ方は壮絶です。それを経て今、どんな経営組織に向かっているのかを、ぜひともお伺いしたいと思います。

諏訪貴子さん(以下、諏訪): 私は会社を継ぐ前に、2度社員としてダイヤ精機に入社しました。1度目は90年代後半のこと。当時会社はバブル後で受注が減り経営難に陥っていました。部門は総務でしたが、私自身エンジニアをしていたので数字が得意でした。そこで、会社の経営状況を分析して不採算部門のカットとリストラを父に進言したんです。そしたら却下されるどころか、自分がリストラを言い渡されたのです。

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