連載:第1回 躍進する企業の転換点
社長が伸びるとき、会社が伸びるとき【串カツ田中・貫啓二社長】
どんな社長にも、どんな会社にも、はじまりがあり、そして成長の物語がある。その秘話を尋ねました。今回ご登場いただくのは、串カツ田中の貫啓二社長です。串カツ田中は2018年には200店舗まで増えるなど居酒屋業界の“革命児”と呼ばれるブランドに成長しています。しかし、現在に至るまでには紆余曲折と並々ならぬ苦労があったとか。貫社長は「自分が経営者として成長したことで、串カツ田中というブランドも伸びた」と話します。一大ブランドを築きあげた経営者の思考に迫ります。
株式会社串カツ田中ホールディングス
貫啓二代表取締役社長
1971年生まれ。1998年に個人で飲食業を創業。2008年12月に串カツ田中世田谷店をオープン。2016年には東証マザーズ上場を果たす。
負の10年間があるからこそ、次の10年間を生きてこられた
――2018年は、貫社長が経営者になって20年の節目でした。これまでを振り返って思うことはありますか?
貫啓二氏(以下、貫): あらためて振り返ってみると 「串カツ田中」をオープンさせるまでの10年間は本当にダメ経営者でしたね。でも、その10年があるからこそ、今がある と思います。
――本日はそのあたりをじっくりお聞きできればと考えています。まずは1998年にオープンされたショットバーのことから聞かせてください。
貫: 15坪ほどの小さな店でした。10年間務めていた会社を脱サラし、600万円ほど借金をしてね。でも、それまでに飲食店を経営した経験はゼロ。そもそも私は下戸で、お酒の味もよくわからない。無計画で経営者になってしまったので、とても苦労しました。休みなく働いても、家賃を払って、開業資金を返済したら手元にほとんどお金が残らない。やってみてはじめて飲食店の大変さを知りました。唯一の救いは、仕事のパートナーとなる田中(洋江取締役副社長)に出会えたことでしたね。
――田中副社長とはどのように出会ったのでしょうか?
貫: 私の幼馴染の紹介で来店するようになってから、あるとき「アルバイトの募集はないか?」と尋ねてきたんです。ただ、そこまで人手が必要ではなかったので、最初は週末だけ手伝いに来てもらうことにしました。でも、彼女は支払う給料以上に飲んで帰るんです。つまり、私は1円も払ってないうえにお金が増える状態だったわけ。だったら、飲みたいときに来ていいよ、という話になって、最終的に毎日来るようになりました。
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