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連載:第17回 ヒット商品を生む組織

テレビ反響で大繁盛なのに大赤字。素人経営者が‪気付いた本質「絶対に○○を壊さない」。

BizHint 編集部 2022年10月26日(水)掲載
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那覇中心部から車で20分、浦添市にある丸焼きチキン店が好調です。店の名前は「沖縄丸鶏製造所ブエノチキン」。40年前に夫婦経営の小さな店としてスタートして長年地元に愛され、一人娘のブエコさんが30歳で事業承継します。WEB通販やイートインにチャレンジしては周囲に反対され大失敗。テレビに取り上げられて大繁盛するも大赤字…などの経験を経て「やっと自分の器と理想、事業がマッチした」と語ります。まったくの素人が経営者として自立するまでの10年を追いました。

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世界のブエノチキン合同会社
代表 浅野 ブエコ 朝子 さん
(「ブエコ」は、アルゼンチン人っぽく見せるために勝手につけたミドルネーム)

1982年那覇市生まれ。地元の高校を卒業後、立教大学へ。卒業後、沖縄に戻り広告会社に入社。コピーライターとして8年間勤め、2012年、30歳で退社。両親の営む「ブエノチキン浦添」2代目となる。2016年に店を法人化して「世界のブエノチキン合同会社」代表となる。現在の従業員は18名。全国のネットショップ6万店舗の中から1ショップだけが選ばれる「カラーミーショップ大賞・デザイン大賞」(2014年)を受賞。沖縄県優良県産品推奨品に選定(2022年)。


親からは公務員を望まれるも…家業、やっぱりオモロイよね!

――丸焼きチキン店の一人娘として育ちました。事業承継についてはどのように考えられていましたか?

浅野ブエコ朝子さん(以下、ブエコ): 子どもの頃から親が苦労して店を切り盛りしていたのはわかっていました。そして 親からも「こんなに苦労する仕事はさせたくない」としきりに言われ 、小学生時代の雅子様ブームの時には「外交官になれ!」とも言われていました。

そんな親の思いは感じていたので、公務員向けの予備校に通いました。ただ、当時花形だった広告クリエイターにどうしてもなりたくて…沖縄の広告会社に就職してしまいました。安定路線を願っていた親からは、そりゃもうフルボッコ。母親は「裏金でもなんでも使って電力会社に入れておけば…」と嘆いていました。

1982年から40年焼き続けるブエノチキン。ニンニクとお酢の秘伝のたれに2日間漬け込んでじっくりロースト。

――広告クリエイターを辞めて家業に入られた理由は?

ブエコ: 広告会社時代、営業先で家業のチキンのことをよくネタとして使っていたんです。手土産にすると喜ばれますし、それで商談もスムーズに進んだり。「人生はネタだ!」と思っている私としては、広告会社での仕事を通じて、家業に対してポジティブな印象になっていきました。

そして10年前のクリスマス商戦の時。 父の持病が悪化して「今年はあんまり営業できないな」という両親の会話を耳にして、勝手に「私がやらねば!」と思ったんですよ。

タイミングというのはあるもので、その頃ちょうどコンサルをやっている大学の先輩にブエノチキンの名刺を手渡したら、「面白そうじゃん、継ぎなよ!」って言われたんです。それで「そうだ、やっぱりこの仕事オモロイよね!」と、継ぐことを決意しました。

――店を継ぐことを両親に伝えられた際の反応は?

ブエコ: そりゃもう大反対されました。 でも私の性格はわかっているようで、父も最後には「やるって言ったらやるんだろう、まあ仕方ない」と渋々了承してくれました。でも母には「あんたに払う給料はないよ!」って言われて…。初任給は5万円でした。

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