連載:第18回 ヒット商品を生む組織
成功をたぐり寄せた二代目。ブーム終焉でも撤退しなかった強烈な胆力
1990年代の地ビールブーム。多くの企業が参入したものの、撤退もまた多くありました。クラフトビール「COEDO」で知られる埼玉・協同商事も一時は撤退寸前まで追い込まれ…。今でこそブーム時の6倍という成長を果たしましたが、その過程は決して楽なものではなかったようです。代表取締役社長である朝霧重治さんに、同社の歩んだ道のりを伺いました。
株式会社協同商事
代表取締役社長 朝霧 重治さん
1997年に一橋大学を卒業後、三菱重工業株式会社に入社し、海外向けプラント輸出に携わる。1998年に株式会社協同商事に入社し、新規事業や事業再編などに従事。2009年に株式会社協同商事の代表取締役社長に就任。
地ビールブームが盛り上がりを見せる中、入社早々に大きな危機感…
世界最大のビアカップと言われる「WORLD BEER CUP」や「モンドセレクション」をはじめ、世界のコンテストでも高い評価を得ているクラフトビール「COEDO」。この製造・販売を行うのが(株)協同商事である。「COEDO」は日本の色名を冠する6つのビールをラインナップ。日本国内だけでなく、海外にも積極的に展開している
朝霧重治さん(以下、朝霧): 当社の設立は1982年。「安心で安全で美味しい」をコンセプトに、生産者の畑や出荷場で集荷した青果物を、トラックでお客様のところへ届ける物流業からスタートした会社です。その他に、有機農産物や花の卸売なども行っていました。
1994年の酒税法改正により、各地の中小メーカーでもビール製造が可能になったことで「地ビール」ブームが訪れました。当社も1996年にビール事業に参入。地ビール「小江戸」の製造・販売をはじめ、地ビールレストランの開店など事業を広げていきました。
私が当社に入社したのは1998年。先代の社長(義理の父)から「一緒にやらないか」と声をかけていただいたことがきっかけで、ビール事業のメンバーの一員となりました。しかし、 入社早々に大きな危機意識を持ったことを覚えています。
――それはなぜですか?
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