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連載:第31回 成長企業 社長が考えていること

突然の幹部社員の退職…!そうなる前に不可欠な、社員の心の掴み方

BizHint 編集部 2022年10月25日(火)掲載
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「失恋以上のショックでした」社長になって4年目。社内改革を推進させていこうと勢い込んでいた矢先に、もっとも信頼していた幹部からの退職願。彼ありきで考えていたプランが泡となった瞬間だ。一体なぜ?何かがおかしいと気づいた西村公作社長の社内改革は、都会の会社とはひと味違った人間関係の構築だった。地域で奮闘する企業の目線やビジネスチャンスを生かす方法を伺った。

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晃和興産株式会社
代表取締役社長 西村公作さん

1971年山口県柳井市生まれ。大学を卒業後、家業と同系列の会社で武者修行を積む。29歳で家業に入り、2年後の31歳の時に、昭和31年祖父が創業した会社の5代目の代表に就任。町のインフラとしてのエネルギー事業から、地域のお困りごと相談窓口としての役割を担うべく、2017年にリフォーム事業、2019年に便利屋事業などの新規ビジネスを立ち上げる。


子供の頃から祖母に「あなたは社長になる」と言われ

――晃和興産の事業について教えてください。

西村公作さん(以下、西村): 晃和興産は戦後から祖父が土嚢袋を製造・販売する商いを行っていました。そこからモータリゼーションの時代がやってきまして、祖父が出光興産とお付き合いを始めたことで、エネルギーインフラを扱う現在の晃和興産の原型ができました。創業以来の事業の柱は3つで、ガソリンスタンド事業、LPガス事業、燃料油の配達事業。これに加えて、2017年からスタートさせたのが“まごのて倶楽部”と名付けたリフォーム事業。2019年にはフランチャイズ加盟した便利屋“ベンリー柳井店”もあります。これはいわゆる地域のお困りごとを解決するなんでも屋で、高齢化が進む地方ならではの今後大きな需要が見込めるビジネスです。

――西村さんは最初から家業を継ぐという思いがあったのですか?

西村: そうですね。創業社長の祖父が早くに亡くなったこともあり、2代目から4代目は創業者のいわゆる番頭さんに務めて頂いたのですが、会長であった祖母が何がなんでも私に継がせたいと思っていたようです。常に私の耳元で、念仏のように「将来は社長になる」とささやき続ける、ある種の洗脳教育に熱心でした(笑)。そのため私は小さい頃からなんの疑問も持たずに、学校でも「将来は社長になる」と作文に書くような子どもとなっていました。

もちろん社長のなんたるかを理解しているわけではなかったですが、人を引っ張っていく人、上に立つことができる人物というイメージはあったので、生徒会長に立候補したり、部活でキャプテンに手を挙げたり、機会があったら積極的にリーダーの役割を引き受けていました。

晃和興産が運営するガソリンスタンド セルフ柳井南SS(写真一部加工)

後継者としての修行時代に見た、さまざまな経営スタイル

――では、卒業後はそのまま家業を手伝い始めたのですか?

西村: 一旦、異業種に身を置いて経営の勉強をしてから戻るつもりでした。別の会社から内定ももらっていたのですが、当時の社長(4代目社長)から「出光興産が主催する系列店後継者向けの子弟教育制度に申し込まないか」と打診があり、悩んだ結果、その申し出を受けることにしました。

赴任先は札幌市で2年半の契約。簡単にくじけて家に帰れないようあえて遠方に赴任させられるルールもあったようで、なかなかハードな環境でした。職場では仕事内容についてリクエストが出せるため、最後の2年ほどは系列販売店の社長の付き人のようなこともさせてもらいました。実際に社長が何を考え、何を軸に判断しているのか、経営手法を学び取ろうと思ったからです。

そこではまったくタイプの違う2人の社長につくことができました。1人は数字を元に論理的に仕事を進めていく理論派。もう1人は現場主義の社長でした。私は2人目の「現場にしか答えはない」という考え方が好きでしたね。

そんな修行のような日々を重ね、出光を退職後は群馬のエネルギー会社に採用して頂き、そこで妻と出会い結婚しました。その直後のタイミングで実家へ戻ってくるように言われたので、群馬の社長からは「おまえは群馬に嫁もらいにきただけだ」と、今でも言われています(笑)。29歳の時です。

いつかは社長になるというイメージはありましたが、自分の中の青写真としては、まず3~5年は現場での下積みを重ねて信頼を獲得し、その後50歳ぐらいで社長になる、というのんびりなものでした。なので、最初は信頼獲得のため誰よりも早く出社をして先輩社員たちが来る前に一人でトイレ掃除や机拭きなどをしていました。

ところが、入社2年目の、私が31歳の時です。「今すぐ社長をやらないか?」と。さすがに早すぎるし、かなり迷いましたが「いずれやるつもりなら、今でもいいんじゃないか」と考え、翌日に返事をしました。

やる気あふれる31歳の社長誕生!一方で続々と辞めていく古参社員たち

――社員の方たちの反応はどうでしたか?

西村: ほとんどが年上の社員です。頼りないと思われていたと思います。それでも、短いなりに現場で感じたこともありました。例えば、明らかにサボり癖や手抜きをする先輩社員がいました。私が次期社長候補だとわかっていても気にしないんです。「これじゃあ業績がよくなるわけないな」と感じていました。

社長になって喫緊の課題としたのは、会社を利益体質に改善することでした。実際に部門別の損益を確認すると、利益を出しづらい事業を惰性的に続けているために、他の事業の足を引っ張っていることが判明しました。

そこで社内外の調整など、かなり煩雑な段階を経てそれらの事業から撤退し、利益を出せる形に変えました。ただ、その事業に携わっていた古参社員たちは次々に辞めていってしまいました。

しかしその時は社員の離職に心を痛めながらも改革推進のためにはやむを得ないとも考えていました。自分としては赤字部門の精算もできて手応えを感じていましたので。そしてついに社長として将来の経営プランを立て、どんどん改革をしていこうと勢い込んでいた矢先、驚愕の出来事が起こりました。私が右腕として頼りにしていた役員候補の幹部から、まさかの退職願を伝えられたのです。

失恋以上の衝撃! 信頼していた右腕幹部から、まさかの退職願が

――え!? 反対派の人じゃなくて、右腕としていた方がですか?

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