連載:第30回 経営危機からの復活
借金13億・売上8割減でも諦めなかった5代目の覚悟。奇跡の復活を遂げた老舗製薬会社の改革史
主力製品の特許切れ、協力会社の離反などにより売上の8割を失った危機的状況の中、「父親の名誉を守りたい」と事業承継したのが、ワキ製薬株式会社の脇本真之介社長。多くの経営・組織課題にぶつかりながらも成長を続け、承継時の売上3億円の赤字経営から、売上12億・利益率は10%以上に向上しています。そんな脇本社長には、何度もターニングポイントがあったようです。今回は、倒産の危機から再生までの道のり、そして自律的な組織に変貌を遂げるまでの過程について伺いました。
ワキ製薬株式会社
代表取締役社長 脇本真之介さん
1976年奈良県生まれ。帝京大学を中退後、フルコミッションの営業職に従事。2001年、25歳で家業に戻り、営業担当に。2003年に専務に就任し、2012年より現職。2019年には大和高田市優良産業者表彰を受賞。Forbes JAPAN「SMALL GIANTS AWARD2021」の全国大会では、「関西・中国・四国ブロック大賞」を受賞した。
この記事でわかること
- 借金13億、売上8割減、大量退職という危機的状況をどう立て直したのか
- 本当の意味で「良い会社」になるために必要だったものとは
- 管理職からのSOS。信頼関係が破綻してしまったその時、気付いたこと
協力会社の離反で経営危機に。「俺が責任を取る」と承継を決意
脇本真之介さん(以下、脇本): 当社は、明治15年創業の製薬会社です。配置販売用薬品、一般向けの医薬品や健康補助食品の製造販売やサプリメントの原料製造開発をしており、ミミズの乾燥粉末を使った製品で知られています。現在は奈良県内に本社と営業本部と工場、京都府に研究開発拠点を設けています。私は2012年に5代目として社長に就任しました。
――最初に、脇本さんが家業に入られた経緯を教えてください。
脇本: 小さい頃から「薬屋のボン」と言われて育ったのですが、それが人生のレールを敷かれているようで「絶対に薬屋にはならない」という強い思いを持っていたんです。それが変わったのが25歳の時。3代目社長であった祖父が癌になりました。お見舞いに行くと、祖父から 「薬の仕事をやってみないか。すごく良い仕事だし、一度やってみれば分かるから。」 と言われたんです。その祖父の言葉が忘れられなくて、一度薬屋をやってみて、30歳までに楽しさがわからなければやめよう…!と心に決め家業に戻りました。それが2001年のことです。
――脇本さんが戻られた時の家業は、どのような状況だったのでしょうか?
脇本: 私が戻った時、会社は6名で経営していて売上規模は2億円ほど。父と祖父が長年かけて作り上げたミミズ酵素の乾燥粉末を武器に、営業担当として全国を飛び回りました。この粉末製造は特許技術でもあり、売上は伸びていきました。そしてある販売代理店と総代理店契約を結び、既存のお客様や販売ルートのほとんどをお任せすることに。
しかし2008年、この粉末製造の特許が切れます。ライバル会社が次々と現れるようになり、どんどん価格競争へ…。代理店の値下げ要求には応じなければならず、利益率はどんどん下がり、販売量も落ちていきました。一方で、グループ会社であったミミズの原料製造会社とは全量買取の契約をしていたため、販売量が減っても、原料だけはどんどん入って来るという、八方塞がりの状態になってしまい…。
この状況を見かねた私は父に、原料の全量買取の解除と納入量の調整を提案しました。しかし父からは「長い付き合いだから言えない」との一点張り。そんな中、会計士の先生からも「このままでは、会社が潰れます」と言われ……。
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