連載:第22回 経営危機からの復活
温泉、寝心地、美味しい朝食… 顧客満足度1位の「スーパーホテル」は どのようにして作られたのか
低価格でありながら、圧倒的な顧客満足度の高さを誇り、 特に出張の多いビジネスパーソンに支持される「スーパーホテル」。 ホテルに泊まる際に感じるマイナス要素をすべて解消し、 利用客に「また泊まりたい」と思わせる、それを実現できているのはなぜなのか。 創業者で会長の山本梁介氏に話を聞いた。
株式会社スーパーホテル
取締役会長・創業者 山本 梁介さん
1942年大阪府生まれ。慶應義塾大学卒業後、繊維の専門商社を経て不動産事業に従事。1989年株式会社スーパーホテル を設立。手ごろな価格とクオリティの高いサービスで高い支持を得ている。
失敗を経て気づいたのは経営者に必要な人間力
J・Dパワー調査によるホテル宿泊客満足度調査で、6年連続1位を受賞。出張族のビジネスパーソンをはじめ、多くのリピーターを持つのがスーパーホテルだ。日本経営品質賞も2度受賞している。チェックアウトが必要ないなど、ストレスのない素早いオペレーションや、部屋や設備のクオリティの高さ、さらにはさりげない心遣いのサービスに、ファンになってしまう人は後を絶たない。このホテルを1989年、48歳のときに創業したのが、会長の山本梁介さんだ。
「私がホテルで修業を積んでいたら、このホテルはできなかったと思います。ホテル業界の非常識を持ち込んだんですから。当初は、土台が間違っていると笑われたこともありました」
山本さんは、大阪・船場の繊維問屋の3代目だった。大学を卒業後、修業のため繊維の専門商社に就職したが、2年後に父親が急逝。25歳で繊維問屋を継いだ。その後、事業の譲渡、業種の転換、バブル期の巨額の借金など、苦しい事態に直面する中で、ビジネスや仕事の本質を見出していった。
「家業を継いだとき、まずは経営戦略を学ぼうと経営書を100冊以上読みました。 頭でっかちの張り切りボーイが、経営に取り組んだ んです」
得意先をグループ分けしたり、生産性を棒グラフにするなど、計数管理を徹底していった。
「社長の言うてはることもわかるけど、現実はそんなふうにはいきませんで、と番頭さんに言われました。それでも自分は行けると思っていました」
トップはカリスマ性がないといけない、と考えていた。リーダーシップをはき違え、社員に自分の思うことを言い聞かせるのが、経営者の役割だと思っていた。社員には厳しく接した。
「父の仕事ぶりを知っていた母からも、社員に対して電話で厳しく叱責する私の姿を見て、よく注意されました」
自信はあったのに、社員は思うように動いてくれない。会社はうまくいかなかった。結局、のれんを番頭格の取締役に譲り、工場も大手に譲渡した。
「自分自身は一生懸命やっていたのに、どうしてこんなことになってしまったのか。 経営は、勉強したのとは違うな、とわかりました 」
父親が堅実な経営で残してくれた不動産で、賃貸事業を始めた。時間ができたので、成功している経営者に会いに行って話を聞く日々が始まる。そこで自分の失敗の原因に気づいた。
「傲慢だったということですよね。学校では、暗記力や計算や分析力があれば、いい成績が取れる。でも‟人生大学”では、それだけではいかんということです」
圧倒的に足りないものに気づいた。それが、人間力だった。 安岡正篤や平澤興などの著書をむさぼり読んだ。
「なるほど、人を引っ張っていくには、人間としての器を広げることが大切だとわかりました。その一番の基本が、感謝することだ、と。感謝することで、自分もパワフルになり、周りもパワフルにしていくことができる」
ただ、それが本当に理解できたのは、まだ先のことである。
感謝の気持ちを持つと新しいアイデアが浮かぶ
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