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連載:第21回 経営危機からの 復活

印刷会社の2代目が会社を立て直す中で、社員に徹底させた “意識”とは

BizHint 編集部 2021年10月25日(月)掲載
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斜陽産業の象徴のように語られることの多い印刷業界。そんな中、家業の印刷会社を2012年に36歳で承継し、低迷していた業績を見事に回復させたのが株式会社明祥の2代目社長・工藤太一さんです。自社に合った新規事業を模索する中で始めた社内報制作によって経営を安定化。また、売上だけを追い求めていた従来のスタイルを刷新し、従業員に「粗利主義」の意識を植え付け、粗利率を一気に改善しました。工藤さんに、グループ立て直しの経緯や市場の変化に対して経営者が取るべき構えについてお聞きしました。

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株式会社明祥
代表取締役社長 工藤太一

1975年生まれ。新卒で印刷会社の営業職として3年間勤務した後、父親が創業した印刷会社・明祥に入社。2012年、代表取締役就任。また、明祥の新規事業としてスタートした社内報制作を行うglassy株式会社では、社内報で培ったノウハウを活かし、ブランディングやプロモーション、イベントプロデュースなど幅広い事業を展開。この他、明祥グループ5社の代表を務める。glassy株式会社の立て直しの経緯を綴ったnote「36歳で印刷会社の社長になった僕が、減り続ける売上をなんとか立て直した話」は、公開後1週間で10万PVを獲得。ビジネスパーソンとしての発信にも注目が集まっている。


デジタル化の波を乗り切る子会社が大赤字に……

工藤太一さん(以下、工藤): 私の父が印刷会社「明祥」を設立したのは1968年です。1944年生まれの父は秋田県の出身で6人兄弟の末っ子。戦後、地元では仕事がなく、長男以外はみんな東京へ出ていきました。2人の姉も東京へ嫁ぎ、父は長女の嫁ぎ先に居候させてもらいながら高校に通ったそうです。その家が製本屋さんだったのがきっかけで、高校卒業後に印刷の仕事に就き、1社を挟んで24歳で独立。すごいですよね。私にはとても真似できません。

明祥に変化が訪れたのは、Windows95発売の翌年1996年のこと。デジタル化に対応するべく、「アドテイスト」という制作会社を設立しました。主な業務は秋葉原にあった家電量販店のチラシ制作だったのですが、実はこの会社が大赤字のもとでした。そもそも明祥の印刷機械を回すために設立された会社ですから、「なんでもやります!」という感じで、印刷の仕事を取るために制作費を思い切り下げていたからです。仕事はあるので制作スタッフはみんな忙しく働いているのですが、なにせ単価が安い。それでも問題視されていなかったのは、制作部門を分社化したようなものだったから。グループの財布は一つと考え、セットで収益が出ていればいいと考えていたのです。

印刷での収益があり、制作部門の赤字を補填できていたうちは、まだそれでみんながご飯を食べられていたんです。ところが、人々の情報源がインターネットに変わり、市場規模も小さくなるにつれて印刷側も儲からなくなっていきました。制作はもともと赤字ですから「双子の赤字」です。明祥では名刺や封筒、チラシ、カタログ……とにかくなんでもやっていましたが、印刷会社の制作単価は広告代理店やデザイン事務所とは違い、なかなか高く売ることができないし、営業も高く売る術を知りません。

追い討ちとなったのは、アドテイストのメインクライアントだった秋葉原を旗艦店とする大手家電量販店からの仕事が2006年に途絶えたことです。90年代以降は郊外型の大規模量販店が業績を伸ばしており、秋葉原の電気街も景気が悪くなっていました……。アドテイストはピーク時に売上の7割を占めていたクライアントを失い、最終的にその量販店は身売りすることになっていました。

自社のポテンシャルを引き出せる新規事業を模索

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