連載:第3回 経営の悩みを中小企業診断士に相談してみたら
創業から赤字続き……倒産寸前だった野菜工場を救った起死回生の一手
露地栽培とは異なり、完全閉鎖型の”野菜工場”でレタスやサラダ菜などの葉物野菜を生産・販売する株式会社野菜工房。代表取締役社長の周藤一之さんは業界の黎明期から市場に参入し、メディアからも注目を集めてきました。ところが業績は創業以来赤字続き。常にピンチと隣り合わせの状態が続き……。秩父商工会議所 中小企業相談所 所長で中小企業診断士の黒澤元国さんと打った起死回生の一手に迫りました。
早稲田大学法学部を卒業後、住友商事を経て、2008年に完全閉鎖型の野菜工場、株式会社野菜工房を設立し、代表取締役副社長に就任。2010年からは代表取締役社長として経営を行う。
大学卒業後、大手流通会社等の勤務を経て、2008年(平成20年)4月より秩父商工会議所に入所。中小企業診断士として企業の経営革新や再生、地域資源活用、まちづくり等の支援に係わる。
工場で野菜を生産、しかし赤字だらけ……
黒澤元国さん(以下、黒澤): 野菜工房さんの工場ではどんな野菜を作っていらっしゃるんですか?
周藤一之さん(以下、周藤): フリルレタスやリーフレタスなどレタス類を中心に、サラダ菜、サンチュ、ロメインレタス、ケールなどの葉物野菜を栽培しています。
私たちの野菜は完全閉鎖型の工場で栽培するため、露地栽培と違って虫を寄せ付けず、すべて無農薬で育てることができます。食品工場の管理手法を導入し、低細菌の環境で栽培しているため、洗わずにそのまま食べることができます。2008年9月に創業して翌年春から出荷を開始し、現在福井県南越前町、茨城県那珂市の二拠点に工場を構えています。
黒澤: 日本では2000年代後半頃から野菜工場が注目されるようになりました。大手メーカーも続々と参入しましたが、周藤さんは黎明期に参入して注目されていましたよね。私も『日経ビジネス』の記事を見て「秩父にも野菜工場があるんだ」と驚いたのを覚えています。
周藤: サラリーマン時代に、植物工場の老舗企業の合弁加工会社に出向経験があり、会社を辞めた後、知人の紹介で多段式噴霧水光の実証実験が可能な工場を探している人と出会いました。私のルーツは秩父であり、「それならば地元の秩父でやってみよう」と秩父市内の会社の一角を借り、その方が社長、私は副社長として、事業をスタートさせました。
植物工場ブームの先駆けで参入した結果、業界内外から注目いただけたのは結果的によかったと思います。
黒澤: 事業の船出は順調に見えましたが、実情はかなり大変だったと。
周藤: 創業から二年ほど経った頃には少しずつ受注も増え、販売も軌道に乗りはじめました。すると、当時の生産規模で供給が追いつかなくなり、すぐに大きな工場が必要になってしまいました。しかし、その時点で手持ち資金がほとんどなくなく、銀行の資金融資も断られてしまったのが誤算でした。
黒澤: 創業時点では、「採算が取れそうだからやってみよう!」という感じではなかった?
周藤: ええ。完全に手探りでしたね。秩父工場の生産能力は1000株ほどで、半分実験的な要素も含めてスタートしました。ところが、綿密にシミュレーションを繰り返したら、規模が小さすぎましたね。収穫の出来高はたかがしれているし、大手の野菜工場は1日で150kgも出荷しているように規模が桁違いです。かといって、ある程度のキャパシティがないと大きな案件は獲得できないし、大きな工場を建てて設備を余らせてしまってはさらに赤字に陥ってしまう。そんなジレンマがありました。
黒澤: 確か。最初にいただいた相談は資金繰りでしたね。創業時の返済据置期間が3年間で、終了してしまうと運転資金がショートしてしまうとおっしゃっていました。
周藤: 1000株をフル稼働させると年商3000万円台になります。ですが、この売上では黒字を確保できません。借入の返済がこれからというなかで、「どうしたらいいものか……」と悩んでいました。
黒澤: 確かに当時の財務状況は厳しかったですが、周藤さんは面談の際、必ず精緻な事業計画書を示してくださいました。こんな経営者はほとんどいません。ですから、「事業戦略さえ、しっかり組み立てることができれば、必ず再生できる!」と信じていました。
撤退戦ができないなら、前に進むしかない
黒澤: 資金繰りに悩んでいた頃、周藤さんが打ち合わせの時に吐いた弱音、覚えてますか?
周藤: はい。以前は唯一の休みによく映画を観に行ってたんですが、本編上映前に流れる予告編を観て「あの映画が公開されるときに、自分はどうなっているのかな?」ってつぶやいてましたよね。今思えば、だいぶ追い詰められていました。
黒澤: 会社をたたむことも頭をよぎった?
周藤: その頃には、創業時の社長は退職して私が代表でしたので、銀行からの融資にも個人保証が入っていました。ですから、「会社をたたむ=自己破産」です。工場の資産を売却しても、私の個人資産をつぎ込んでもとても融資を返せる額ではありませんでした、。辞めたい気持ちはあっても自己破産はできない。
サラリーマン時代にも出向先で代表取締役を務めていましたが、いわゆる”雇われ社長”と今の決定的違いは資金繰りだと思います。会社のお金でやるビジネスと、個人の資金を注ぎ込んだビジネスでは覚悟に差がある。だから、この事業を軌道に乗せるためには、どうしても新しい工場をつくらなきゃいけない。引いて駄目なら、前に進もうという思いがありました。
黒澤: その時の周藤さんの言葉には力強さがありました。業績改善のためには、まずコストカットに着手するのが一般的です。でも、御社はすでに徹底的なコストカットを行っていました。解決策は、売上拡大しかありません。
新工場開設を見据えて、具体的な営業先リストもできていました、周藤さんのサラリーマン時代のご経験を生かせば、顧客開拓は十分可能と感じていました。
そんな時、周藤さんが工場用地として探してきたのは埼玉県ではなく、まさかの福井県でしたが。
周藤: 当初は秩父に新しい拠点をと考えていましたが、周辺に条件に合う場所がありませんでした。
いろいろ調べていたところ、南越前町に大きな工場用地を見つけました。福井県は電源立地地域のため、電気料金補助などの優遇措置があり農業補助金も充実しています。ならば、県内にこだわらずとも福井に可能性があるのでは思い、工場設立を決意しました。
黒澤: 福井進出を決められてから、マル経融資(小規模事業者経営改善資金)1500万円を推薦させていただきました。
福井工場が稼働するまでの運転資金をなんとしても確保しなければならない。当時、日本政策金融公庫から「黒澤さん、本当に大丈夫ですか」と何度も問い合わせも受けました。「大丈夫ですよ、私を信じてください」の一点張りで押し切りました。本当は、自信がなかったんですけど(笑)
嬉しかったのは、工場建設にあたり、福井のJAや地元銀行がスポンサーになってくれたことです。過去の決算書だけを見ると「融資は難しいかも」と思っていましたが、福井県は補助金が充実してるだけでなく、行政や金融機関が企業をサポートする体制が整っていると感じました。工場建設が決まった時は「やった!」と思いましたよ。
周藤: 福井工場がなかったら会社も続いていなかったと思います。工場が増えたおかげで、生産規模は4.5倍に拡大しましたし、立地柄、関西方面の取引先に供給しやすくなったのもメリットでした。
黒澤: 一方、植物工場ブームが去ると、業界内から倒産のニュースも聞こえるようになりました。でも、周藤さんには苦境を乗り切って、一つの成功モデルをつくってほしいと応援してきました。
周藤: 大企業は、採算が取れないと3〜5年を目処に撤退する企業が多かったですね。そんな中、福井工場は稼動後1年くらいには軌道に乗せることができ、結果的によい方向に進めることができました。
黒澤: 厳しい時期を乗り越えた今、さらなる可能性を感じています。
(取材・文:星久美子 撮影:渡辺健一郎 編集:上野智)
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