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戦略・経営

2019年9月12日(木)更新

8割の社員が辞めても貫いた後継者の覚悟 〜創業200年の老舗が起こした改革20年史〜

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江戸時代から200年以上続くくず餅の老舗、「船橋屋」。同社が製造・販売を手がけるくず餅は、かつて芥川龍之介や吉川英治など、日本を代表する文豪達も愛した逸品です。小麦粉を水で練ってグルテンとデンプンに分け、デンプンのみを発酵させて作るくず餅は、450日にわたる乳酸発酵を必要とする一方、消費期限はわずか2日というデリケートな和菓子です。伝統の製法を守りながら改良を重ねてきた船橋屋のくず餅。店の前には今日も長蛇の列ができています。 実はこの船橋屋は近年、就職先として多くの若者の人気を集めています。新卒採用でピーク時には約1万7000人の学生がエントリー。老舗の伝統を守り続ける一方、組織運営においては、若手社員を中心とした「オーケストラ型組織」と呼ばれる同社独自のスタイルを確立。そこにあるのはまさに「優良企業」です。 しかし、8代目社長の渡辺雅司氏が入社した25年前、船橋屋は現在の姿からは想像もつかない「老舗病」を抱えていました。

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株式会社船橋屋

代表取締役 八代目 当主 渡辺 雅司氏

1964年生まれ。1986年三和銀行 (現三菱UFJ銀行) 入行。日比谷支店で融資業務、本店市場営業部でディーリング業務、銀座支店で営業に従事した後、1993年退職。同年、専務取締役として船橋屋へ入社。2008年代表取締役就任。立教大学経済学部卒業。


仕事中に競馬に行く職人、深酒して寝る職人

――渡辺さんが家業「船橋屋」の改革に至るまで、どのようないきさつがありましたか?

渡辺雅司氏 (以下、渡辺) :私は新卒から勤めていたメガバンクを1993年に退職し、船橋屋に入社しました。ちょうどバブルが崩壊した時のことです。行員時代には銀座支店も担当しましたが、銀座の街でバブルを体感しつつも、その後にくる不況がもたらす谷は深く、それも長く続くだろうと予想していました。 いくつもの企業の栄枯盛衰を目の当たりにしながら「良い物を作れば勝手に売れる時代」は終わる だろうとも感じていました。

そんな時代背景もあり、私は船橋屋の将来に大きな危機感を抱いていましたが、社内の雰囲気はまるで違いました。当時は「そのうち、また景気は戻るだろう」と楽観的に捉える空気が蔓延していましたし、そもそも当時の職人の世界にはそういった情報が入ってくるのが一番遅かった。ですから、バブルがはじけても船橋屋ではまだまだ浮かれた風潮がありましたし、日本全体についても似たようなものだったかと思います。

今日の当社の状況を見て、「改革が上手くいったのは、船橋屋さんだったから」とおっしゃって頂くこともありますが、正直、それはとんでもないことです。私が 入社当時の社内を見渡すと、職人達が夕方4時頃から宴会を始め、酔った挙げ句に取っ組み合いの喧嘩を始める。仕事中に競馬に行くのも当たり前。店頭では深酒した当社の社員が居眠りしていたという、惨憺たる状況でした。

1805年 (文化2年)創業。船橋屋八代目当主 渡辺 雅司氏

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