連載:第1回 経営危機からの復活
廃業寸前だからこそ生まれた「若手主体の自律型組織」 町工場を世界一に導いた経営戦略とは
東京・立川にある小さな工場。世界でも他に例を見ない高性能センサがここで次々と開発され、世界70か国以上に輸出されています。中でも「機械式・精密位置決めスイッチ」は世界トップシェア。それらを手掛けるグローバルカンパニーが「株式会社メトロール」です。連続増収増益はもとより、営業利益率27%、社員一人当たりの付加価値生産性1600万円という驚異的な経営が注目を集めています。 同社の海外事業を支えるのは入社数年目、まだ20代の若手社員達。「1人で1か国」を担当し、商品の値付けから販売まで、その全てを一任されています。大企業ならば中堅社員が担当するレベルの仕事も、ここメトロールでは海外経験のない若手社員が果敢に挑み、大きな成果を挙げています。 なぜ、そんなことが可能なのか。なぜ、そのような人事・販売戦略を選択したのか。「若手の挑戦のためなら、投資は惜しまない」と断言する代表取締役社長の松橋卓司氏にお話を伺いました。
株式会社メトロール
代表取締役社長 松橋卓司氏
日本大学農学部を卒業後、大手食品メーカーを経て、1998年、父が創業した高精度工業用センサの専門メーカー、メトロールに入社。1990年代のインターネット黎明期より、海外向けのECサイトを立ち上げ、海外顧客との直接取引を開始。2012年に経済産業省「IT経営力大賞 経済大臣賞」を受賞、2014年には「グローバルニッチトップ企業100選」「ダイバーシティ経営100選」、2018年には「東京都経営革新優秀賞」に選定された。
かつては平均年齢65歳。「老人ホーム」のような町工場だった
――メトロールはどのような経緯で設立されたのでしょうか?
松橋 卓司氏 (以下、松橋):メトロールは僕の親父が立ち上げた会社です。親父は東京大学で精密工学を学び、卒業後、オリンパスで胃カメラの初期開発に携わっていました。そこで胃カメラが胃液に触れても壊れない防水技術の開発に貢献しました。その技術は今日、切削油などの悪環境下で使用されるメトロールのセンサーに活かされています。
当時、親父は多くの人命が救われることになる胃カメラの初期開発に携わったことを技術者として誇りに思っていました。しかし医療事故を恐れ、製品開発に必ずしも協力的でなかった会社の組織運営が肌に合わないと考え、責任者の打診を断り退職し、測定器メーカーに再就職、その後52歳でメトロールを創業しました。独立してからも、胃カメラを発明した先輩社員の名誉を気遣い、社会的な評価や公的機関から何一つ表彰も受けていないことを大変に気の毒がっていました。
親父は自身の体験から「エンジニアの発明意欲を重視する会社」「エンジニアが思う存分活躍できる会社」を作りたい、という想いがあったようです。私が高校生の時でした。
メトロールが設立された当時(1976年)。創業者の松橋章氏(前列左)、社員の皆さんと
――お父様が会社を設立した時、松橋さんに会社を継ぐ気持ちはありましたか?
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