連載:第61回 経営危機からの復活
松下幸之助の教えが2度のV字回復の礎に。"日本一の会社"を目指す社長が貫く覚悟
16歳で実家から勘当され、故郷を離れ18歳で創業。波乱の幕開けで経営者人生がスタートした、株式会社キョウエイの河野誠二社長。創業4年目には社員が事件を起こし、廃業の危機に。会社の存在意義を見直し、経営者としての意識と行動を改め、再起に成功します。しかし、2008年に発生したリーマン・ショックにより主な売上が8割減少。「やれることは何でもやろう」と宣言して自ら全国を駆け回り、V字回復を達成しました。松下幸之助の「ある言葉」に影響を受け、2度の経営危機を乗り越えた河野さん。その道のりと将来のビジョンを伺いました。
株式会社キョウエイ
代表取締役 河野誠二さん
1975年生まれ。大分県出身。私立大分高校特進中退後、父に勘当され名古屋の建設会社に就職。1年間勤務した後、18歳で個人事業「共栄建工」を創業。1999年に法人化。2023年に創業30周年を迎え、現在はグループ4社で年商約56億円の規模まで成長している。
2度の経営危機からV字回復。「12期連続」増収増益の秘訣
――貴社は2度の経営危機を乗り越え、現在は12期連続で増収増益を続けています。その成長の秘訣は何でしょうか?
河野誠二さん(以下、河野): 「全員経営」の組織づくりによる効果が大きいと考えています。リーマン・ショックを乗り越えた2011年頃から、経営に関する情報を社員にオープンにし、経常利益の2割を賞与として社員に還元しています。
社員が常に経営を意識できるよう、社内のモニターに経営理念や毎月の営業収支などを表示。加えて、社内向けの「決算説明会」と「経営計画発表会」を実施しています。売上、粗利、販管費、経常利益、内部留保、そして社員への還元計画に至るまで、貸借対照表と損益計算書も開示しながら説明しています。
同時に、「危機に陥っても会社と社員を守れるよう、しっかり蓄えていく必要がある」「そのためにはこれだけの売上と利益を出していかなければならない」「社員のみなさんにはこれだけ還元していく」「互いに手を取り合って会社をつくっていこう」と、私の想いを伝えています。会社の状況がよいときも悪いときも、根底にあるのは「共に支えあい、共に成長し、共に栄える」という当社の経営理念です。
ただ、今の経営体制になったのも、まさにどん底とも言える危機の最中に出会った、数々の教えがあったからこそ。中でも、 経営の神様ともいわれる松下幸之助さんの教えからは、本当に多くのことを学び、そして救われました。 それらがなかったら、V時回復は達成できなかったですし、今のような組織にはなっていなかったと思います。
心に響いた言葉はいっぱいあるのですが、特に影響を受けたものが2つあります。
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