連載:第62回 経営危機からの復活
二宮尊徳の教えでV字回復。「凡人」社長が貫いたたった1つのこと
設置台数350機の「クレーンゲーム元祖ギネス店」として有名な「エブリデイ行田店」。運営する株式会社東洋は2023年、都内最大規模のクレーンゲーム店をオープンしたことでも話題を集めます。しかしそこに至るまでには、あわや倒産かという厳しい時期があったことはあまり知られていません。その苦境を乗り越えV字回復できた理由の1つは、二宮尊徳の考えをベースにした、小さなことの積み上げにありました。「凡人のやるべきこと」を見極めた時、そこに大きな可能性が生まれたのです。中村秀夫社長に話を聞きました。
株式会社東洋
代表取締役 中村 秀夫さん
1960年東京都出身。専修大学経営学部卒業。90年、東洋本店(エブリデイ北本店)開店。業態転換を繰り返しながら、2001年からクレーンゲーム専門店を4店舗展開。2012年、エブリデイ行田店がクレーンゲーム台数世界一として、ギネス世界記録に認定。自著に『超・アナログ思考 凡人でも天才に勝てる唯一の方法』などがあるほか、『集客が劇的に変わる!エブリデイの経営戦略 BADプレイスでも儲かる理由』(著・井上岳久)も刊行されている。日本クレーンゲーム協会代表理事も務める。
一時は全店閉店に追い込まれ、倒産も覚悟した
――クレーンゲーム事業に乗り出したきっかけや経緯を教えてください。
中村秀夫さん(以下、中村): すでに成功していた兄の家電ディスカウントショップにならって、1990年に妻と2人で同様の業態「エブリデイ北本店」を埼玉県のロードサイドで始めました。それは爆発的なヒットにつながり、2~3年で年商10億円超えまで成長します。
しかし将来性に対して疑問を感じていました。私の心にはどことなく違和感があったんです。そのうち行き詰まるのではないか。物を売るだけでは差別化は難しいことに気づいたんです。
違和感の1つが、お客様がお店で楽しそうに見えなかったこと。 「物を選んでお金を払ってそれでお終い」のように感じられたのです。
それはレジでの風景で痛感させられました。
無表情でレジに並ぶお客様の姿。なんとかそこに「笑顔」をもたらすことはできないか。そんな時、店の入り口に置いていた1台のクレーンゲームが目に留まったんです。売れ残りのファミコンソフト等を景品にして、時間潰しのための余技といった程度のゲームでした。しかしそこで遊ぶお客様の楽しげな光景が印象に残ったのです。
それが業態転換のきっかけになりました。
たった100円なのに、お客様はいつも笑顔で溢れている。私はその時、クレーンゲームを通じて、お客様の笑顔を作る体験をビジネスにしようと決意しました。2001年に専門店を立ち上げ、その後徐々に家電販売店をクレーンゲーム専門店に変えていきました。
――家電販売からアミューズメント業に移行されたわけですね。
中村: しかし、2011年の東日本大震災で、わずか1年のあいだに、営業していた全5店が閉店を余儀なくされたのです。
当時はクレーンゲーム店だけでなく、マンガ喫茶や宝飾・ブランド品のリサイクル店なども経営して展開を広げていたのですが、計画停電の影響を大きく受け、事業継続が困難になっていきました。特に24時間営業店は壊滅的で手の打ちようがありません。一時は全店閉店に追い込まれ、12億円ほどあった売上も半減…。
正直…倒産も覚悟しました。
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