連載:第66回 組織作り その要諦
「貴方には感謝が足りない」強烈な叱責で目が覚めた。孤独を乗り越え企業を変革したリーダーに聞く、チームづくりの極意
会社の成長を強く思うが故に、社員との溝が深まってしまう。気づけば社長の周りには誰もいなくなっていた…。「自分が未熟だった。これに尽きます」当時をこう振り返るのがセムコ株式会社の宗田謙一朗社長。自身の在り方や経営について見直す契機になったのが、京セラ創業者・稲盛和夫さんが主催していた「盛和塾」でのある叱責でした。現在は社員一丸となるチームづくりを推進し、売上受注は過去最高ペースに。数々の経験・失敗から何を学び、どのように組織改革を推進してきたのか、詳しく伺いました。
セムコ株式会社
代表取締役社長 宗田 謙一朗さん
1973年生まれ。信州大学教育学部卒業後、液面計・流量計の製造販売を行うセムコ株式会社に入社。2005年32歳で代表取締役社長に就任。「盛和塾」での学びや、コーチングの手法を企業運営に取り入れ、「企業は人なり」の理念を核に、「社員の自主性を育て、チームで目標を達成する組織づくり」を実践。液面計船舶業界シェアNo.1を誇る。
社員と敵対関係になってしまい、社内で孤立…
――宗田さんは32歳の若さで社長に就任されていますね。当時の社内はどのような状況だったのでしょうか。
宗田謙一朗さん(以下、宗田): 先代社長の父が亡くなり、入社から10年で社長に就任しました。当時は売上が3億円ほどで従業員数は20人弱。今後、より会社を成長させていくためにも「組織」にしていきたいと意気込んでいました。
――なぜそう思われたのですか?
宗田: 過去、お客様との商談で出てくるのは「値段」の話ばかりで、造船業界の未来にあまり希望が持てずにいた時期がありました。そんな中、たまたまノルウェーで行われた海事関係の展示会に行ったのですが、そこには日本で見たことのないような、付加価値の高い商品がたくさん並んでいたのです。
中でも衝撃を受けたのが、企業の考え方や文化が商品に反映されていること。それを目の当たりにしたとき、日本でもまだまだやれることがあると強く感じました。当時のセムコは、それぞれが個人の意思や考えに基づいて働いているような状態。「企業文化」と言えるものは正直ありませんでした。 「個人の集まり」から「組織」を目指すことが企業文化をつくり、“セムコらしい”商品を生み出す一歩になる。 そう考え、自分が代表になったタイミングで、組織改革に取り組もうと決意したわけです。
――まず何から着手されたのでしょうか?
宗田: 社長就任の翌年から新卒採用を始めました。企業文化の醸成には、若手がカギになると考えたからです。また、ISOなどの国際規格を取得したり、会社のコーポレートカラーを決めてパンフレットや名刺をつくったりと、ブランディングにも力を入れたほか、働きやすい環境づくりとして就業規則の改訂などを次々と行っていきました。
同時に、事業改革にも着手しました。10年間社員として勤務していたので、業務内容は熟知していましたし、経営の舵取りにもそれなりに自信がありましたので。これまでのような「価格」勝負ではない、お客様のニーズや船舶関係のルールなどが変われば、そこにスピーディーに対応して、新たな提案をしていくことこそが、売上や受注の伸びにつながると考え、私のトップダウンのもと社内には柔軟な対応を求めました。
――実際に改革を実行されて、社内の反応はいかがでしたか?
宗田: 最初の2~3年は改革が進み、新しい人材も入ってきて、順調な滑り出しだと思っていたのですが…。気づいたら、「社長vs社員たち」のような構図で、社内で完全に孤立してしまっていたのです。
――改革は上手くいっていたはずなのに、なぜそのような事態に?
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