連載:第67回 組織作り その要諦
稲盛和夫氏「社員を信じろ」の言葉が社長の覚悟を支えた。社員の3分の1が退職しても貫いたもの
株式会社メディカルアドバンスの創業者・本多隆子さんは当時、ビジネスの知識と経験はゼロ。そのため経営には何度となく苦労がありましたが、稲盛和夫氏から二度にわたって受けた直接の激励に支えられたと言います。ゼロから全く新しい事業を確立させた本多さんにお話を伺いました。
株式会社メディカルアドバンス
取締役会長 本多 隆子(ほんだたかこ)さん
1961年生まれ、徳島県出身。39歳で歯科業界と出会い、歯科医院が開業すると同時に患者が多く集まるように「内覧会」を仕掛ける専門会社としてビジネスを伸ばす。内覧会の成功が新たな紹介を呼び、業界のリーディングカンパニーの座を守り続けている。創業から20年間の内覧会の実施件数は4,000件を突破した。
「なんでも屋」だった経営者。盛和塾先輩の言葉で思いもよらない事業を主軸に
――経営者として起業されるまでは何をされていたのですか?
本多 隆子さん(以下、本多): 私が大学を出た頃、女性は就職して数年後には結婚し、出産するのが当然とされていた時代でした。私も18年間主婦として子どもを2人育てて、家庭の事情から39歳で社会復帰したのですが、たまたま歯科医院でコンシェルジュとして働き、その後ご縁があって、2004年に歯科医院のコンサルティングを行う事業を立ち上げました。
コンサルティングとはいうものの、歯科医院の経営のお手伝いならなんでも請け負う「なんでも屋」です。ご縁あって盛和塾に入塾したのも起業すぐの頃です。
――盛和塾ではどのような学びがありましたか?
本多: 入塾当時は、食らいつくのに必死でした。経営はおろか、ビジネスの経験もなかった私は「スーツを着なさい!」からはじまり、塾での集まりの度に先輩経営者から叱られていました。
例えば、「車は?」「ベンツです」「売りなさい!」とか、「将来どうなりたい?」「政治家を目指そうかと」「社員はどうなるんだ!自分勝手だ!」とか。特に、稲盛和夫さんの「経営12カ条」のなかでも「具体的な目標を立てる」はとても苦手で、できるまで徹底的にたたき込まれました。
やはり、1億、2億の売上が一番やりやすくて、それ以上の成長を望まない経営者は多いんです。しかし、盛和塾の先輩経営者がそれを許すはずもなく、「目標が低い!」と何度もご指導いただきました。
いつも叱られるので、月次の決算書を見てもらうのも勇気がいりました。ただ、わからないまま、できないままのほうが嫌だったので、お酒の席でも一番叱る先輩経営者の正面に座ってひたすらに言われたことを頭にたたき込みました。
ただ今振り返ると、経営者の経験ゼロの私に、先輩方はほんとうによくしてくださったと思います。経営者としての基礎を鍛えていただきました。
――「なんでも屋」だったメディカルアドバンスが今のビジネスモデルになったきっかけはなんですか?
本多: 盛和塾での教えをそのまま実行したからです。ある時、「いろいろ取り組んでいるようだが、どれがお客様に一番喜ばれると思うか」と聞かれ「医院での内覧会がうまくいったときには、先生が感動してくれます」と答えました。
歯科医院の内覧会とは、開業前に行うお披露目会のことです。医院を開放し、ご近所の方をお招きして医院や先生のことを知っていただくために方針・強みなどの説明やご案内をします。
そこで私たちは、内覧会をプロデュースし、当日のお手伝いをさせていただいていました。企画するだけではなく、事前に周辺のスーパーなどでチラシを配布し、内覧会当日も医院の前で呼び込みまで行います。来場者にとって院内の設備や雰囲気はもちろん、当日対応した医師やスタッフの人柄までわかるので、来院する大きなきっかけになります。
かつて内覧会は、院長の家族や親族で取り仕切っていたそうですが、プロに任せたほうが医院にとっても楽で目に見えて成果も出るために、とても喜ばれていました。
「喜ばれる仕事はなにか」と聞かれたので、「内覧会です」と何気なく答えたのですが、先輩経営者から言われたのは驚くべき言葉でした。
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