連載:第65回 組織作り その要諦
勝つ組織を作るリーダーの絶対条件。ラグビー清宮氏の激高で気づいた本質
ラグビー日本代表を経て、現役引退後は指導者として追手門学院大学や母校・早稲田大学をラグビー日本一に導いた後藤翔太さん。現在はラグビー解説者や、組織マネジメントのコンサルタントとして活躍されています。そんな後藤さんが大きな薫陶を受けた恩師の一人と語るのが、早稲田大学時代の監督であり、その後の黄金時代を築いた名将・清宮克幸氏です。名将に学んだ「勝つ組織の条件」について伺いました。
株式会社識学
後藤 翔太 さん
1983年生まれ。大分県出身。桐蔭学園高校、早稲田大学というラグビーの名門校を経て、2005年に神戸製鋼に入社と同時にジャパンラグビートップリーグの「神戸製鋼コベルコスティーラーズ」に入団。1年目からレギュラーの座を勝ち取り新人王に。日本代表にも選出。
2013年、追手門学院大学の女子7人制ラグビー部兼、追手門学院高校ラグビー部のヘッドコーチに就任。2017年、株式会社識学に入社。
清宮監督が唯一、部員に激高した日
――後藤さんは早稲田大学ラグビー部時代に、清宮監督のもとで大学日本一を2 度(2002年、2004年)達成されていますが、清宮氏はどのようなチーム作りをされていたのでしょうか?
後藤翔太さん(以下、後藤): 清宮さんは僕の入学と同じ2001年にサントリーから出向し、監督に就任されました。当時の僕はまだ18歳の若造、正直に言えば、清宮さんが考えるチーム作りをすぐに理解できていたわけではありません。
ただ後になって考えると、清宮さんは「日本一になる」という目標から逆算したチーム作りをされていました。
そしてそのファーストステップは 「勝つための必要条件の抽出」 だったのだろうと思います。
当時の早稲田のラグビー部は、スポーツ推薦も本格的に始まっていない時代で、戦力・練習環境などの資本はまだまだ弱かった。その直前まで清宮さんが率いていたサントリーのやり方を当てはめても勝てません。限られた資本の中で、当時の最大のライバルである関東学院に勝つには何が必要か?それを探っておられました。
そしてそれが明確になると、次に 「やるべきことと、やらなくてもいいこと」 を決められました。
勝つためには不要とした練習・習慣はバッサリやめました。それこそ、80年にわたって代々受け継がれていた練習であっても。OB含め、周囲からいろいろ言われることもあったのではないかと思います。選手たちも「本当にやらなくていいんですか?」と不安になるほどでしたね。
――やめた練習・習慣とは?
後藤: 例えば「ヘッド」という練習です。パスをつなぎながら、ラグビーの試合時間と同じ40分間延々と走る。それが2セット。この練習は、伝統としてほぼ毎日やっていました。
しかし実際の試合で40分間、自分たちがボールを持ち続けることはありません。ですので、やめました。
また、ミスをした際に連帯責任で罰を受ける習慣もなくなりました。これは主に、上級生が下級生に対してやらせる、今思えば悪しき伝統の一端になるようなものでした。
――清宮氏のチーム作りについて、印象に残っていることはありますか?
後藤: 清宮さんは決して大きな声で怒鳴ったりする方ではないのですが、一度だけ、当時1~2年生だった僕たちに激高されたことは、はっきりと覚えています。
僕は大学までの人生で「日本一」というものを経験したことはなかったのですが、 その怒号を耳にしながら『トップになるというのは、こういうことか…』と思い知りました。
――何があったのでしょうか?
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