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連載:第64回 組織作り その要諦

他責・四面楚歌だったリーダーがやめたこと。本音で話せる自律組織を作るまで

BizHint 編集部 2023年12月22日(金)掲載
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「リーダーは強くなければいけない」という過剰意識の空回りから社員との溝が深まり、組織は崩壊。倒産危機・リストラを前に「社員が悪い」という他責思考を捨てたことから、会社再建の道を歩むことができたのが株式会社西尾硝子鏡工業所の西尾智之社長。今では社員が生き生きと働く光景の裏で、この30年で何が起こったのかを聞きました。

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株式会社西尾硝子鏡工業所
代表取締役社長 西尾 智之 さん

1967年、東京都大田区生まれ。1991年、青山学院大学法学部卒業。同年、住友商事入社。1993年、西尾硝子鏡工業所に入社。2000年、代表取締役社長就任。「東京ベンチャー技術特別賞」「東京商工会議所 勇気ある経営大賞 優秀賞」など受賞多数。


負け癖がついた組織で四面楚歌「いてもいなくても構わないんだよ、君は」

――家業であるガラス加工会社に入られた経緯を教えてください。

西尾智之さん(以下、西尾): 父(3代目)の死を受け、商社を辞めて家業に入りました。1993年、25歳の時です。父が闘病している頃から母が3代目として切り盛りしていたのですが、僕が4代目として家業を継ぐ流れになりました。

ただ当時の僕は「リーダーは強くなければいけない」という気持ちが先走り、社員との関係はうまくいきませんでした。前職に比べると社内規範がとてもゆるく、細かいことに口を出していたのです。

また当時はバブル崩壊後で熾烈な値下げ競争の最中。商流的に中間業者が多くのマージンを抜いている。職人をはじめ「一番汗をかいているのは自分たちなのに…」という思いから、社内には投げやりな雰囲気が蔓延。 “負け癖”が染みついたような状況 でした。

ただ、僕としては会社を何とかしなくてはならない。

職人から「現場に出てガラスを切れ」と言われては、それに従い技術を学びました。終業後は製図学校に通い夜中まで勉強。しかし結局は「技」の世界。1年生では、20年選手にどうやっても勝てません。

必死になって食い下がるほど「お前、何言ってるの?」「いてもいなくても構わないんだよ、君は」などと言われるようになりました。 社員との関係性は最悪で、まさに四面楚歌 でした…。

――四面楚歌の状態を、どう改善されていったのでしょうか?

西尾: 四面楚歌はずっと変わりません。ただ、母から「自分の得意なことを。役割分担を」というアドバイスを受け、営業に力を入れることにしました。

ただそれは、会社・売上としてはうまくいったものの、次のより大きな問題を引き起こすきっかけになりました。

――どういうことでしょうか?

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