連載:第53回 経営危機からの復活
社員の7割を入れ替えても成し遂げたV字回復。新江ノ島水族館に学ぶ組織づくりの本質
かつては、年間の来場者数が20万人にまで低迷し「お化け屋敷」と揶揄された旧・江の島水族館。3代目社長として就任した堀 一久さんは2004年の施設のリニューアル時に全社員の7割を入れ替えるなど大規模な改革を成し遂げました。結果、2016年には全国150もの水族館のなかで来場者数4位を記録した日本有数の水族館に生まれ変わります。一体どのような改革、意識づけを行ったのか、お話を伺いました。
株式会社江ノ島マリンコーポレーション
株式会社新江ノ島水族館
代表取締役社長 堀 一久さん
1966年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、1989年に住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)に入社。2002年株式会社江ノ島水族館に専務取締役として入社。2004年株式会社江ノ島マリンコーポレーション(株式会社江ノ島水族館から商号変更)の社長に就任。2014年株式会社新江ノ島水族館 社長に就任。
トップダウンによる弊害の排除。社長になって変えた「組織の在り方」
――堀社長が事業を引き継がれたのはどのようなタイミングだったのでしょうか?
堀 一久さん(以下、堀): 私が入社したのは2002年です。日活の社長でもあった祖父・堀久作が1954年に江の島水族館を開館して、およそ47年ほど経ち、老朽化した建物の建て替えが検討されていたタイミングでした。
新江ノ島水族館が建っている場所は神奈川県の湘南海岸公園という県の公園であり、神奈川県の土地です。公共の土地にある施設ということで問題もいくつかあり、当時は改築も危ぶまれたのですが、タイミングよく1999年にPFI法(プライベート・ファイナンシャル・イニシアチブ)という法律が整備され、これに従い建て替えに目途がついたのです。
私が入社したのは丁度その頃でした。
――建て替えが検討されていた時期の、江の島水族館の経営状況はどのようなものでしたか?
堀: それはもう惨憺たるものでした。ピーク時、昭和30年代から40年代にかけての来場者数は年間200万人になったこともあったのですが、リニューアル前は20万人にまで落ち込んでいました。
当然、採算分岐点を割り込んだ赤字経営です。老朽化しているからいざ建て替えようとしても、施設設備費に回すお金がないわけです。当時の藤沢市長からは「お化け屋敷」と揶揄されていました。
そのようななかで、建て替えを機に、各金融機関から融資を受けることができ、リニューアルの目途がつきました。融資という点では私の入社前の経歴が大いに役立ち、リニューアルオープンと同じ2004年に社長に就任しました。
――入社してからどのような印象を持ちましたか?
堀: まず驚いたのは定例的な営業会議がなかったことです。どんな業態でも通常の会社であれば、定期的に営業会議を行います。その場で年間の集客目標を立てて、それを月次、週次…といった具合に分解して目標達成のための計画を練るわけです。そうすると、集客状況に応じてイベントや企画などをいつ行うべきかが決まっていきます。
しかし、かつての江の島水族館では何となく1年間を、「繁忙期間」「閑散期」とシーズンで分けて、スタッフが感覚でやることを決めていくスタイルでした。それが当たり前になっていて、営業会議を行う文化がなかったのです。
――社長に就任されてから取り組まれたことはなんですか?
堀: まず組織の在り方を変えました。
私が入社した時は母が社長として経営を支えていたのです。母は隅々まで気配りの行き届いた人で、57歳の若さで他界した父に変わり、専業主婦だった母がすべての部門を取り仕切るトップダウン型の組織でした。
ただ、母を尊敬すると同時に、銀行という大きな組織で働いていた自分から見れば、とても会社として機能していないと感じる部分もありました。また、トップダウンの弊害で社員は自ら考えて動くことができなくなっており、組織としての柔軟性も失っていました。まずはそこを改善すべきだと考えたのです。
――組織改革のために何を行ったのですか?
堀: トップダウンに慣れすぎた古い体制をすべて壊して新しく作り替える必要がありました。
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