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連載:第50回 経営危機からの復活

経営危機からV字回復した中小企業。アナログ組織を生まれ変わらせたDX化の極意。

BizHint 編集部 2023年10月30日(月)掲載
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1961年創業の今野製作所は「爪つき」油圧ジャッキの高いシェアを持つ会社です。現社長の今野さんが家業に戻ってみたところ、アナログな管理方法と非効率的な生産現場により事業は経営危機に陥っていました。そんな会社が経済産業省主催の「攻めのIT経営中小企業百選2016」に選定されるほどのDX化に成功しました。超アナログ組織だった同社がどのようにDX化を推し進められたのか。今野さんにお話をお伺いしました。

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株式会社今野製作所
代表取締役 今野 浩好 さん

1962年生まれ。1986年早稲田大学政治経済学部卒業。1996年今野製作所入社、1999年専務、2004年より代表取締役社長。2012年東京都ものづくり人材育成大賞。2016年に経済産業省主催の「攻めのIT経営中小企業百選2016」に選定された。


「売り上げが2割落ちたらまずい」状態から4割の減収。入社直後に陥った経営危機

――今野さんが今野製作所に入社された経緯について教えてください

今野 浩好さん(以下、今野): 大学を卒業してから製造業のそれなりに大きな部品メーカーに就職しました。いわゆるTier1(ティアワン)メーカーっていうんですかね、自動車や産業機械の部品を作る会社だったんです。その本社部門で10年ほど生産や調達に関する仕事をしていました。

小さいころから父の後を継ぐという話はしたことがなかったのですが、ある日、創業当初からいた会社の幹部社員2人から呼び出されたんです。2人は、会社にとって重要な人材だっただけでなく、子供のときから一緒にキャッチボールしてもらったりとか、勉強教えてもらったりっていう家族のように育った人たちでした。2人から「いつか戻ってくるものと思っているんだけど、後を継ぐことについてどう考えているの?みんなも気にしているよ」と言われました。

実は、私が今野製作所に入る前に働いていた部署では、製造子会社の経営管理を統括しており、経営というものに興味を持つようになりましたし、学んだことで何かしら実家の役にも立ちたいという思いも募り、その出来事があってから2年後に会社に戻ることに決めたんです。

今野製作所を代表するブランド「イーグル」の油圧ジャッキ

――今野さんが家業に戻られた当時の会社の状況はいかがでしたか?

今野: 入社直後から売り上げが落ち続けていました。まず、バブル崩壊に伴い運輸業や製造業全体の業績が悪化し、それらの顧客を相手にしていた今野製作所もそのあおりを受け業績が悪化していきました。

ただ、なかなか最初は思うように物事を進められず、地道な改善を重ねていました。

――最初に行った改善にはどのようなものがありましたか?

今野: 入社直後の今野製作所は一般的な小さな町工場がそうであったように、みな仕事はまじめに一生懸命やっているものの、「管理」「制度」「ルール」というものがありませんでした。

帳簿やそのほかの数字は母が中心となってすべて紙と手書きで行っていました。オフコンが1台ありましたが、納品書と請求書の発行機でしかありませんでした。今考えるとその機械にも集計機能くらいはあったと思いますが、誰も使っていませんでしたね。

紙ベースで一番厄介なことは、日々の数字が見えないことです。請求書は締め日単位で発行されますが、月単位でいくら売上があったのか、仕入があったのか、いま受注残はどれくらいあるか。そういうものがさっぱりわからない状態でした。

さすがにそれでは不便でしたから、社員はあまり意味を理解してくれてはいませんでしたが、「2000年問題」を理由に販売管理ソフトと会計のソフトは導入しました。あとは、業務管理でパソコンの普及を進めたりとこつこつITを取り入れていました。

もちろん当時はIT化はそれほど重点ではなく、営業面ではカタログをつくったり海外展示会にでたり、購買面では仕入先との価格交渉や納期調整をしたりと、忙しい日々でした。

業務改善はなかなか思い描いたとおりには進みませんでしたし、しばしば社長である父ともぶつかりました。私も若かったですから、「これではダメだ」「こうすべき」「以前の会社では」という言い方で、社長や幹部社員に不愉快な思いをさせていたのかも知れません。

父からも「お前は大学出たかもしれないが」とか「世の中理屈ばかりじゃない」という言われ方もされましたが、折りに付け「会社は小さくていい。しかし、中身は大会社と遜色ない会社をつくれ。家業ではなく企業にするのだ。」とも語っていました。これが父が私に与えた命題だったのです。

入社後から売り上げが落ち続けていたこともあり、社長である父には「やり方がまずいから売り上げが今よりも2割落ちたら大変なことになるよ」と伝えていたのですが、そうこうしているうちに、1999年末から想定以上に受注が減ってしまったのです。

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