連載:第51回 経営危機からの復活
「5年後、潰れますよ」で目覚めた社長。“掃除”の徹底でV字回復した町工場の話
工場内は油でベトベト、道具が散乱して探しても見つからない、机は書類が山積み…。そんなカオスな環境から、裸足で歩ける・寝転がれるほどピカピカの床に、整理整頓が徹底されたきれいな工場に変化を遂げてV字回復した企業があります。それが、大阪にある枚岡合金工具株式会社です。社内の反対勢力が半数以上のなか、リーダーとして改革を牽引した古芝保治会長は、京セラの創業者・稲盛和夫さんの言葉から改革の本質を見出したと語ります。経営者として何を実行し、組織を変えていったのか。詳しく伺いました。
枚岡合金工具株式会社
代表取締役会長 古芝 保治さん
1949年大阪府生まれ。桃山学院高校卒業後、1972年に枚岡合金工具入社、1996年に代表取締役就任。金型設計・製造に携わるかたわら、1983年に販売・受発注管理システムを独自に開発。2001年にISO9001工程認証システム等統合管理ソフトを開発。3Sの基礎知識やマネジメント手法を伝える研修会や工場見学会を主宰するほか、講演活動やコンサルティングも精力的に行う。2010年より現職。
改革の本質を見いだせたのは、稲盛和夫氏の教えにあった
――今では徹底した3S活動で知られる貴社ですが、以前はどのような状況でしたか?
古芝保治さん(以下、古芝): 今考えると恥ずかしいほど雑多な環境でした。事務所はファイルや資料が散乱し、工場は油まみれ、不要品に囲まれながらも 「工場が汚いのは当たり前、それが製造業」 と問題意識は皆無でした。
しかし、バブルが崩壊した1990年代、当社の売上は低迷する一方。当時社長だった私や役員の報酬を削減しても歯止めがきかない。朝から晩まで生産に追われども売上は伸びず、1997年にはついに赤字に転落してしまいます。このままでは潰れるのは時間の問題だと危機感を抱いていました。
何かできることはないのか…と、藁にもすがるようにして出会ったのが 「3S」活動 です。3Sとは、皆さんご存知の通り「整理」「整頓」「清掃」のこと。たかが3Sで経営危機から脱却できるものか…そう思う方も多いのではないでしょうか。実際、当社でも最初は「掃除をして何が変わるのか?」といった反発の声が飛び交いました。しかし私は、社員の反対を押し切り決死の覚悟で3S活動を推進し、結果的に業績はV字回復。離職率も下がり、人が育つ会社に変貌を遂げたのです。
かつて油まみれだった工場は裸足で歩ける、寝転がれるほどきれいな工場に変わり、当社の職場見学には、全世界からお申込みをいただくようになりました。2001年から現在まで、延べ17,000名以上の見学者を受け入れています。
ただ、ここにたどり着くまでの道のりは、決して楽なものではなかったですね。社員と大喧嘩したこともあるし、3S活動中に怪我をして流血騒ぎ…なんてこともありました。それでも、なぜ当社はこんなにも変われたのか。活動を続けていくなかで、大きなターニングポイントがありました。
それが 「3Sを目的にしているうちは、本当の意味での改革は成功しない」 という気づきです。
――どういうことでしょうか?
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