連載:第45回 経営危機からの復活
生き残る中小企業の絶対条件。V字再生で貫いた「たった1つの答え」
液体ゆずこしょう「ゆずすこ」。2008年に発売され、今でこそ多くの食卓で使われますが、それを製造・販売する株式会社高橋商店は2000年のある日、経営危機に直面しました。その対応に追われたのが12日前に社長に就任した、当時32歳の高橋努武さん。「できることはすべてやった。しかし、ほぼ空回りした」と暗中模索する中で、1つの光明から会社は存続・V字再生への道を歩み始めます。その復活のカギについて高橋さんは、「経営資源の乏しい中小企業が生き残るための核心、絶対条件」と語ります。その再生の経緯や「ゆずすこ」誕生について聞きました。
株式会社高橋商店
代表取締役 高橋 努武さん
1967年生まれ。オクラホマシティ大学大学院経営学修士を取得後、日本水産株式会社(現・株式会社ニッスイ)を経て、1997年、家業である株式会社高橋商店に入社。2000年、14代目として代表取締役社長に就任。
経営危機からのV字回復。「何をするか?」で始めたことはほとんどうまくいかなかった。
――社長就任後の最初の仕事は、経営危機への対応だったとのこと。
高橋 努武さん(以下、高橋): 私が社長になったのは、2000年7月1日。そしてその事件が起きたのは、忘れもしない7月12日でした。
その日、当社の最大の取引先だった百貨店「そごう」が、負債総額1兆8000億円を抱えて経営破綻しました。
当社は北九州の小倉そごうと黒崎そごうに店舗を構え、主に魚介類の粕漬・麹漬などの贈答品を販売していました。当社にとって、そごう関連の売上は全体の25%、2.3億円ほどありました。そしてその日の時点であった3500万円の債権も、一瞬で吹き飛んでしまいました。
当時、私は32歳。家業に戻って営業を一通りやったくらいで、経営者としては右も左もわからない状態でした。
――そごうの破綻を耳にして、まず何をされたのでしょう?
高橋: 何よりお金の手当てです。入るはずだったお金がなくなり、キャッシュフローが非常にタイトになりました。金融機関に相談して、とにかく当座の運転資金をやり繰りしました。もちろん将来を考えると、あくまでその場しのぎにすぎません。
何かをしなければ、経営状態が悪化するだけ。失った売上を補填する事業を作ることが急務でした。
会社を存続させるために「何をやるか?」。思いついたものはすべて、手当たり次第にやりました。新商品を作ってみたり、新たな取引先の開拓に奔走したり。それまでのBtoCではなく飲食店向けなどBtoBへの進出を模索したり…いろいろな方の力を借りながら、まさに何でもやりました。
しかし、ほとんどは空回り。
銀行や取引先に相談をしながら、売上を立てる方策を探る日々。社員やその家族の生活もかかっています。どうすれば会社を守れるのか…自分はどうすればいいのか…自問自答の毎日の中で、不安に押しつぶされそうでした。
――そんな中で「ゆずすこ」が生まれるわけですか?
高橋: いいえ。「ゆずすこ」はまだずっと後のお話なんです。ただ、「ゆずすこ」が生まれた背景には、この時の経営危機を乗り切った考え方、方策が活きていたとは思います。
というのも、私は経営危機の中で真っ先に「何をするか?」を必死に考えて、多くの試みを重ねました。
でも 「この考え方そのものが、間違っていた」 と気づいたのです。
危機に際して、企業や組織が真っ先に突き詰めて考えるべきことは、「何をするか?」ではない。他にあったのです。
これは、 当社のような中小企業にこそ当てはまる、危機に瀕し、また伸び悩みに直面した時の思考法の1つ だと思います。
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