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連載:第43回 経営危機からの復活

日本電産で鍛えられた社長、真逆の組織づくりでV字回復20年

BizHint 編集部 2023年5月22日(月)掲載
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元請けからの発注停止で9割の売上を失う危機に直面した岡山のシバセ工業。そこから新事業を作り、20年かけてV字回復に導いたのが磯田拓也社長です。激務だった日本電産で「会社と一緒に成長する喜び」を体験した磯田社長が目指した組織づくりは「無理せず、楽せず、コツコツ着実に」という、日本電産とは真逆とも取れるもの。「(稲盛和夫氏の)因果応報の法則」という哲学を根底に「社員と一緒に成長し続ける会社」を作り上げた経緯を聞きました。

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シバセ工業株式会社
代表取締役 磯田 拓也 さん

日本電産でモーター検査装置の研究・開発に従事した後、1999年芝勢興業(当時の社名)入社。ストローの製造に携わる。2005年に代表取締役就任。廃業寸前の状態から国内シェアトップクラスまで復活させる(国産のストローシェアの50%)。ストロー製造にハイテク技術を次々と取り入れ、ストローを高精度な工業用部品として使用できるまでに進化させた。シバセ工業を取り上げた書物には、『衰退産業の勝算』(井上善海著 幻冬舎)、『負けない戦略』(井上善海著 中央経済社)、『地域産業の現場を行く』(関満博著 新評論)、『見つけた!最高の経営戦略』(関満博著 日経トップリーダー)などがある。


「人間に戻れた」日本電産を辞めて、親戚の会社へ

――磯田社長はもともと、日本電産でエンジニアをされていました。

磯田拓也さん(以下、磯田): 日本電産の創業10年目くらいの時期に新卒入社しました。社員は300人ぐらいでしたね。すごい勢いで成長していたので、全員がいろいろなことをやらなければなりませんでした。

技術面だけでなく、組織づくりやルール作り、ISO取得…。お金もそんなにあるわけではないので、知恵を出して工夫するしかない。否が応でも勉強はします。 「日本電産を辞めて、人間に戻れた」。同期とはもはや自虐ネタでこう言っています(笑)。

とにかく「みんなでがんばって会社を伸ばしていこう!」という空気があって、また実際に会社が伸びていることもあって、本当に一体感がありました。当時は永守(重信)さんも一緒にソフトボール大会に出ていたくらいの規模感でしたしね。

この 「成長と一体感」の体験は、私がシバセ工業の経営の舵取りをし、組織づくりをしていく上での原体験にもなっています。 ただ、目指すところは同じでも、まったく違うアプローチをしていくのですが…

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