連載:第42回 経営危機からの復活
あぶらとり紙のよーじやは崩壊寸前だった。経営を立て直すため3年で進めた3つの『脱』
「売上が減少し続けているのに、誰も危機感を持っていなかったんです。」2020年に30歳という若さであぶらとり紙の「よーじや」を承継した國枝社長は、就任当時を振り返ります。1990年代に突如訪れたあぶらとり紙ブームから会社は急成長し、組織づくりもままならないまま数十年。ブーム後に売上が減少するも一部の人間しか数字を把握していないことで、危機的状況に誰も気付かない状態に陥っていました。今回、國枝社長が経営回復のために取り組んだ「3つの脱」について、詳しくお話を伺いました。
よーじやグループ
代表取締役社長 國枝 昂さん
1989年京都府京都市まれ。大阪大学経済学部を卒業後、公認会計士試験に合格し、大手監査法人に入社。先代の急病により、2019年に副社長として入社。翌2020年、30歳で代表取締役に就任。
崩壊寸前に追い込まれていたよーじやに起こっていたこと
――國枝さんは、30歳という若さで5代目に就任されました。当時の社内は、どのような状況でしたか?
國枝 昂さん(以下、國枝): そうですね……。まずは 「売上が減少し続けているのに、誰も危機感を持っていない」というのが率直な印象 でした。売上はピーク時から落ち続けているのに、社員の意識は景気のいい時のままで止まっていたんです。
さらに、 「不採算事業がいくつも放置され、赤字を垂れ流し続けている」「20年間、管理職が変わっておらず組織が硬直している」「従業員の多くが指示待ち体質でモチベーションが極めて低い」 など、大きな問題がどんどん見つかって……長年放置されてきた問題が連鎖して、当時は組織も事業も崩壊寸前でした。
――なぜ、そのような状況に陥っていたのでしょうか。
國枝: 最大の要因は 会社の成長が急すぎた ことにあると考えています。
当社は1904年に舞台化粧道具などを扱う「國枝商店」として創業し、1921年にあぶらとり紙を発売しました。1990年頃、あぶらとり紙が人気ドラマの映像に映り込んだことにより、一大ブームが巻き起こりましたが、2005年をピークに売上はじりじりと減少し、現在の祇園本店の売上は1/3程度にまで減少しています。
「あぶらとり紙ブーム」時の当社は、まさに破竹の勢いとしか言いようがなく、放っておいても儲かってしまう状況でした。2店舗しか無かったのにブームで一気にお客様が増え、商品が飛ぶように売れていました。祇園店(現在の祇園本店)だけで1日1,200万円、年間14億円ほど売り上げる年もあったほどです。
業績が急激に伸びる中、中長期計画の策定や管理体制の構築、人材育成などに取り組まないまま、「よーじや」という箱だけが大きくなってしまった んです。
このままでは「よーじや」は潰れるだろうと確信しました。社長に就任してから3年間、私は現場で感じた3つの課題から脱却するために動いてきました。その課題とは、
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