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連載:第14回 アトツギが切り拓く、中小企業の未来

談合事件後の経営危機から再建。働きやすい会社づくりに取り組み、健康経営優良法人に認定

BizHint 編集部 2022年11月25日(金)掲載
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高知県を中心に舗装・土木・建築などを請け負っているミタニ建設工業株式会社。3代目の三谷剛平さんは2006年に入社し、30歳で代表取締役社長に就任しました。社長となり、会社を変えていこうとしていた矢先の2012年に大きな壁にぶつかります。就任前に行われていた官製談合を告発され、全国に報道されてしまったのです。1年7ヶ月の公共工事指名停止や計9億円ほどの課徴金と違約金の支払いを命じられ、社員の離職も続くなか、トップダウンの組織からフラットな組織に変わろうと舵を切ります。社員が働きやすい会社になるべく、進めてきた数々の社内改革。健康経営にもいち早く取り組み、社員のフィジカルだけでなく、メンタルのケアにも着手してきました。三谷剛平さんに組織を再建するために取り組んだ施策についてなど伺いました。

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事業承継後、官製談合を告発される。1年7ヶ月の公共工事指名停止に

――三谷社長が家業に入るまでの会社の状況や組織風土についてお聞かせください。

三谷剛平さん(以下、三谷): 当社は1956年に祖父が創業し、私は3代目です。子どもの頃は日曜日にはよく会社に連れて行かれました。家族から跡を継ぐように言われて育ったわけではないし、自分自身も継ぎたいと思っていたわけではありませんが、なんとなくいつか継ぐことになるんだろうと感じていましたね。

組織としてはトップダウンがきつく、祖父が絶対的な存在でした。私が幼い頃には祖父と暮らしている自宅の庭に社員がやって来て、こちらに向かって万歳三唱をしているところを見たこともあります。社員は祖父に怯え、自分の意見を言えるような雰囲気はありませんでした。

私自身は大学を卒業後、27歳までの6年間は大手ゼネコンの大林組で土木の現場を経験しました。現場によって所長が変わり、それぞれ考え方や仕事のやり方も違いました。一方では叱られたことが、一方では良しとなる。所長の考えに合わせて仕事をする柔軟さを鍛えられました。

父から「そろそろ帰ってきたら」と声をかけられ、28歳の時に家業に入りました。29歳で常務となり、30歳で代表取締役になったのです。

――経営者としてどんな心構えでいましたか。

三谷: 当初はどちらかと言えば、祖父と似た考え方を持っていました。社員の働きやすさよりも、とにかく仕事を獲得し、会社を大きくしていくことが「勝ち」で、重要と考えていたんです。

しかし、

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