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連載:第56回 組織作り その要諦

稲盛氏の痛烈な叱責で目が覚めた。「この会社、終わってる」からの同族企業改革

BizHint 編集部 2022年11月17日(木)掲載
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「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」「ホワイト企業大賞」など多くの経営賞を受賞し、幸福経営の代表的企業として知られるのが、西泰宏社長率いる西精工です。広告代理店に勤務していたところを、徳島の西精工に呼び戻されたものの「この会社…終わってる」と将来に危機感を抱き改革をスタート。しかし稲盛和夫さんの教えに触れて、自身の間違いに気づきます。そこから「経営理念」や「創業の精神」をまとめ、経営を根本から再構築。自身の間違いとは何だったのか?同族企業をどう変えようとしたのか、西泰宏社長に話を聞きました。

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西精工株式会社
代表取締役社長 西 泰宏さん

1963年徳島市生まれ。1988年神奈川大学を卒業。都内広告代理店の営業職を経て、1998年西精工株式会社に入社。08年同社代表取締役社長に就任。社員の幸せを追求した経営を実践。これまでに、「日本経営品質賞」、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞 中小企業庁長官賞」、「ホワイト企業大賞 大賞」、「稲盛経営者賞」など数多くの経営賞を受賞している。


「この会社…終わってる」。入社早々、危機感に突き動かされた

――創業100年を間近に控えた同族経営の会社を変革し、「稲盛経営者賞」はじめ数多くの経営賞を受賞されています。まずは会社の歩みからお聞かせください。

西泰宏さん(以下、西): 西精工は、祖父が1923年に創業した会社で、2023年に100周年を迎えます。祖父には子供が4人いて、3人が男でした。1960年に株式会社に改組する際に、祖父が会長に就いて、長男が社長、次男が専務、三男が常務になりました。

三男が私の父で、現在相談役をしています。男兄弟3人で、力合わせて頑張ってきた会社で、経済成長の波にも乗って大きくなってきました。現在、徳島を拠点にパーツ・ナットなどの付加価値の高いファインパーツの製造販売をしています。

――西社長が入社された経緯を教えてください。

西: 私は映画や音楽の空気に触れたくて、高校卒業を機に徳島を出ました。大学を卒業し、東京の広告代理店で働いていたところ、突然父から「徳島に帰ってこい」と連絡がきました。1998年のことです。

当時の社長(叔父)の後継者と目されていた優秀な息子ががんで亡くなり、社長がショックで弱ってしまったので、父が社長を継ぐことになった…と。それで私も役員として会社の経営に加わるように、とのことでした。

きれいに整備された西精工の本社工場生産ラインで作業するスタッフ。徳島を拠点にナットを中心とするファインパーツを製造販売。

――家業に戻ってみて、いかがでしたか。

西:正直、会社はとても暗い雰囲気でした。 業務上関係がない他部署の人たちとは、挨拶も会話もしない。部署間の壁を自分たちで作っているようにも見えました。

製造現場の掃除や整理整頓も行き届いておらず、製品を入れる箱は西精工のロゴが見えないほど油まみれ。道具は床に置きっ放し、製品のナットも床に落ちていて、それが時々蹴られている…。製造業において、機械や道具は大切に扱うべきものなのに…。とてもショックでしたね。

ある朝、ラジオ体操をしていたときのことです。目の前を通り過ぎようとする新入社員に向かって、取締役営業本部長が、「おはよう!」と言葉をかけたんです。すると新入社員はポケットに手を突っ込んだまま「うっす」と返事しただけ。

これを目の当たりにして 「この会社…終わっているな」と思いました。またその一方で、「絶対に改革するぞ!」と私の中でスイッチが入りました。

朝のラジオ体操。西社長が会社改革へのスイッチが入ったのは、ラジオ体操で目の当たりにした役員と新入社員の挨拶のやりとりがきっかけだった。

――そこまで強い危機感を抱いた背景には、何があったのでしょうか。

西: 実は、私が徳島に帰る1週間前に、新入社員が機械に挟まれて亡くなる事故がありました。まわりの人が新入社員を見守る関係性ができていれば、事故を防ぐことができたのではないか?と思ったんです。

また、後継者と期待されていた従兄弟が若くしてがんで亡くなったのも、もしかしたらこの会社の暗い雰囲気がわずかばかりでも影響していたのかもしれない…と思えました。

私は広告代理店時代にいろいろな企業を担当する中で、社員どうしの関係性がよくない会社の経営が傾いていくのをいくつも見てきました。(このままでは、西精工がそういう道を辿ってしまう…)。そうならないように、私なりに力を尽くそうと考えたのです。

改革を進めるほど、孤立無援になっていった。

――社内改革には、どう取り組まれたのでしょうか?

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