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連載:第24回 成長企業 社長が考えていること

先代の残した「常に考える」文化を守る、4代目が考えるホワイト企業「未来工業」

BizHint 編集部 2022年2月16日(水)掲載
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“日本一ホワイトな会社”として名を馳せる未来工業株式会社。「他社と異なる働き方で独自のアイデアが生まれる」という考えのもと、残業・ノルマなし、全員が正社員、70歳定年制、報連相は禁止など、従業員のモチベーションを高めるユニークな制度が有名です。従業員の幸せを第一に考えた結果、各方面で高いシェアを誇り高収益を実現し続ける一方、会社独自の文化を守り続けるのには想像以上の苦難もあるはず。創業者の想いを受け継いだ代表取締役社長 山田雅裕氏にお話を伺いました。

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未来工業株式会社
代表取締役社長 山田 雅裕さん

1963年、未来工業株式会社の創業者である山田昭男の長男として生まれる。大学卒業後、未来工業株式会社に入社し、営業所長、製造企画課長、工場長などを歴任。2008年6月に子会社・神保電器株式会社の社長に就任。業績不振からの再建を行い、2012年度には同社最高益を達成するなど経営者の手腕を発揮した。2013年6月に未来工業株式会社の代表取締役社長に就任。


残業無し、ノルマ無しで、トップシェアを誇る未来工業

――未来工業は「残業ナシ・ノルマナシ」などホワイト企業として有名です。改めて貴社について教えてください。

山田雅裕さん(以下、山田): 弊社は1965年に設立した、建設用の電気・設備資材メーカーです。もともと私の父、山田昭男ともう一人の創業者、清水昭八が『未来座』というアマチュア劇団を運営しており、その仲間たちとスタートした会社でした。現在では社員数が800名超、全国に営業所を構えております。

私は父が亡くなる直前の2013年に社長に就任しました。とはいえ、父から直々に「会社を継げ」とは言われたわけではありません。私は長男ですし、多少の期待はあったかもしれませんが。ただ、「継ぐのは当たり前」という周囲からの声もあって、プレッシャーには感じていました。

――社長に就任されるまでは、どのようなキャリアだったのでしょうか。

山田: 大学卒業後1987年に未来工業に入社して、まずは営業部に配属になりました。松本営業所長、製造企画課長、山形の工場長などを経験して……。その後、子会社の神保電器に出向しました。そして、2013年に未来工業に戻り社長になったのですが、実はそもそも本社の中心部で働いた経験は初めて。ほとんど外でお客様回りをしたり、工場の立ち上げに奔走していたので、中央である本社からは離れていたのです。

ずっと、外から見ていて、社長に就任してはじめて会社の中心から見ることになったのですが。当初は「どうしよう……。何をすればいいんだ?」と訳がわからなかったです。

神保電器では社長として過去最高益を達成したりしていましたから、「経営が分からない」というよりも、未来工業自体を分かっていなかった。各支社や営業所、工場、お客様など、どう見えているかを理解できていなかったと思います。富士山のように外から見ると綺麗ですが、中に入ってみると「意外とそうでもないところがあるぞ?」と。

会社を継ぐにあたっては、特に父から何も言われませんでした。元々、父は会社に息子が入社するのは照れ臭かったのでしょう。営業の仕方も商品の企画も「すべて自分で考えてやれ」という人でした。そもそも、未来工業の社是が「常に考える」ですから。


未来工業の地中埋設管、「電力用ケーブルの地中埋設の施工方法」の規格に適合

そして、もとより未来工業は「常に考える」ぐらいしか全社員には伝えていません。元から「自分で考えたことを実践する」。ですから、私も社長に就任して「社長としての仕事をすれば、誰かから教わらずとも次第にわかるだろう」と考えていました。未来工業という会社自体はすでに出来上がっていましたし、トップが変わるだけで従業員やお客様には影響はありません。まずは営業所や工場を回って、従業員とコミュニケーションをとりながら、お客様の考えを把握できたらいい。そうやって、会社の中と外と両方の視点を養っていきました。

――本社で社長として未来工業を見て、何かギャップはありましたか? 一社員としての立場から見える形式で違うものはあったのでしょうか?

山田: 大きなギャップはありません。ただ、想像以上に「創業者の色が薄くなっている」と感じましたね。それもそうです。父が亡くなったのは2014年ですから、現在の30~40代中堅社員たちですら「会ったことはあるけれど、直接、深い会話をしたことはない」という社員が増えている。未来工業が大切にしてきた、創業者の想いがどんどん薄れているような感じを持ちました。

一方で、中小企業家同友会全国協議会で私の発表を聞いた友人からこう指摘されました。「自分は親から会社を継いで、いかに父の色を消すかに注力した。山田は逆だ。色を消さず維持していくかだな」と。私は「創業者たちが未来工業に残した文化や風土をいかに守っていくか、いかに消さないで維持していくか」が何よりも大事で、そのことに注力しています。

4代目社長の仕事は、「常に考える」文化を守ること

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