連載:第16回 成長企業 社長が考えていること
急逝した先代への恩返し。お客様からの感謝と社員の幸せの追究こそが、企業成長の原動力。
岐阜に本社を置く株式会社テクノア。現社長である山﨑耕治さんが執行役員に就任した翌年、創業社長ががんであることが判明。病室で「次の社長をやってくれ」と言われ、突然の事業承継が決まります。初めての社長業に奮闘しますが、一貫してブレなかったのは創業社長の教えである「社員を幸せにすること」でした。2021年3月には、第11回「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」の審査委員会特別賞も受賞しています。今回は、2代目社長である山﨑さんに、社員が幸せに働き続けるための組織の作り方について伺いました。
株式会社テクノア
代表取締役 山﨑耕治さん
1974年大阪府生まれ。福井大学工学部に入学。料理人や、営業会社での営業職を経て、2000年に26歳でテクノアに入社。東京本部にて生産管理システム「TECHS(テックス)シリーズ」の営業を担当。2008年から生産管理事業の事業部長。2014年に執行役員に就任。2016年から現職。
先代社長にがんが見つかる。引き継ぎも無いまま、代表取締役社長に
――山﨑社長が事業承継された経緯について教えてください。
山﨑耕治さん(以下、山﨑): 当社は、1981年に創業し、企業向け生産管理システムの開発などを行っています。事業の中心は製造業向けソリューションで、全国でトップシェアを誇ります。私は2000年に営業職として入社しました。その後、東京支店長、生産管理事業の事業部長を経て、2014年に執行役員に就任。 この時は、自分が社長になるなんて、微塵も思っていませんでした。
2015年11月、テクノアの創業者である大道社長(以下、先代)にステージ4の腎臓がんが見つかりました。先代は非常にエネルギッシュな方で、私が先に定年すると思っていて。先代に「社長、お世話になりました!」なんて挨拶すると想像していたのですが……。
翌年1月、入院先の病室で「次の社長をやってくれ」と言われました。正直驚きましたが、その場で「お受けします!」と即答しました。 先代は私の人生を変えてくれた恩人です。病床にいる恩人からの頼みに応えることに、迷いはありませんでした。 病室を出てから途端に「社長ってどんな仕事だ?何をやればいいんだ?」と焦りましたね。
先代が、「社長としてしっかり育てていくからな」と言ってくれたことを覚えています。結局、 先代から直接教えてもらったのはたった1つ、「社長の仕事は社員を幸せにすることだ。」という言葉だけになりました。
先代のデスクは今でもそのまま残してある。山﨑さんは「本当はここに並んで、いろんなことを教えていただけるはずだったんです。」と嘆息する。
2016年5月9日に開催された株主総会で、先代は取締役会長へ、私は代表取締役社長に就任しました。実はそれまで病気のことも、社長交代についても、社員には一切伝えていなかったんです……。弱い姿を見せたくないので、ずっと隠していたんですね。社員は、かなり驚いたと思います。
そこからが大変でした。社長には数千万円規模の案件を決裁する仕事がある。早速、 先代に「どうしましょうか?」と電話をすると、「お前が代表取締役なんだから、お前が決めろ。いちいち電話するな!」と切られてしまったんです……。 てっきりサポートしてもらえると思っていたので、突き放されたような気持ちになりました。正直、かなり動揺しましたが、今思えば既に死期を悟っていて、甘やかすまいと思ったのかも知れません。
そして5月23日頃、容体が急変し危篤状態に。命尽きる前にもう一度会いたいと、当時専務であった先代の奥さまに電話したところ「あなたには、社長としての仕事があるでしょう。来なくていい!」と突っぱねられました。 そんな状況になって、ようやく私は社長としての腹をくくりました。 もしも先代が生きていたら、きっと甘えていただろうと思います。
社長就任から16日後の5月25日、先代は亡くなりました。緊急朝礼で訃報を伝えると、泣き崩れる者もいました。そして私の社長としての最初の大仕事は、社葬を執り行うことでした。
先代のたった1つの教えは「社員を幸せにすること」
――事業承継されて、山﨑社長が最も大切にされていることは何でしょうか?
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