連載:第18回 成長企業 社長が考えていること
年間300本以上TV出演するアキダイ秋葉社長、10年に1人の逸材と言われた男の経営術
都内を中心にスーパーマーケットや飲食店を展開するアキダイ。代表取締役社長の秋葉弘道さんは、年間200〜300本以上のテレビに出演する“名物社長”としても知られています。秋葉社長は高校生の頃の八百屋でのアルバイトをきっかけに23歳の若さで東京・練馬に1号店をオープン。ところが集客が伸び悩み、わずか一年で閉店も考えたといいます。立ちはだかる壁を乗り越えた方法と成長の理由とは? 秋葉さんに聞きました。
代表取締役 秋葉 弘道さん
1968年生まれ。1992年に23歳でスーパーアキダイ関町店をオープン。以来、東京と千葉にスーパー4店舗、青果店2店舗、これに手作りのお惣菜も揃えたパン工房や旬の海鮮料理が自慢の居酒屋を出店し、年商39億円を売り上げる企業の経営者となる。近著に『いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった スーパーアキダイ式経営術』(扶桑社刊)
日本一TVに出演するスーパー「アキダイ」秋葉社長、10年に1人の逸材と呼ばれた男
──秋葉社長といえばテレビのニュースや情報番組に数多く出演されているイメージがあります。
秋葉弘道さん(以下、秋葉): テレビをはじめ新聞やラジオなど、多い時には月60本の取材を受けることもあります。おそらく日本でいちばんテレビに出演している八百屋だと思いますよ。
テレビでは物価の値上がりや野菜の価格高騰など視聴者に身近なテーマを特集することが多いですよね。うちは野菜の仕入れ量も多く、個人店ですが一日の仕入れ額が1,000万円になることもあります。市場の変化をキャッチして相場感や季節感のあるコメントができるので、よく声がかかるのだと思います。広報やPR会社は一切通しておらず、いつも番組のディレクターから私の携帯に直接電話がかかってきますよ。
──そもそも、秋葉さんが八百屋の道に進まれたきっかけは何だったのでしょうか?
秋葉: 高校生のときに、地元の埼玉・富士見市で八百屋のアルバイトをはじめました。それまでもいくつかアルバイトは経験していたんですが、流れ作業で退屈だったり、自分のやりたいように仕事ができなかったりとどこか不満があったんです。ある時、八百屋の求人を見て「面白そうだな」と思って飛び込んでみたら、自分にとっての天職だったんですね。そこで知った仕事の喜びがアキダイ創業の原点になっています。
八百屋の仕事の面白さは、お客様とのあいさつや会話、要はコミュニケーションにあります。夢中で仕事していると、時間が流れるのが早いし毎日があっという間。辛いとか退屈だとか感じたことは一回もないですね。夏休みに入ると、始業時刻よりもわざと早く出勤して品出しや開店準備を手伝っていました。当時は日給制で1日6000円。早く出勤しても給料は変わらないんですけどね。先輩から「助かるよ」と感謝されて、やりがいを感じるようになりました。
アルバイトにも裁量が与えられる店だったので、営業中はひたすら販売に熱中していました。目標の数を売り切ったときは、頂上に登ったような達成感がありましたね。1日に桃を130ケース以上売ったこともあります。「もっと売りたい」とどんどんのめり込んでいった感じです。
接客トークも自分なりに工夫するようになりました。ポイントは「安いよ」「甘いよ」とアピールするのではなく「ちょっと寄ってきなよ、食べてみて」とまずは商品のファンになってもらうんです。「いいのとっておいたよ」といったセールストークもありましたね。例えば、「この桃とこっちの桃はどう違うの?」と聞かれたら、お客さんの反応によって「これ、極上の甘さだよ」と答えたり、「こっちは値段安いけど甘さ変わらないからお買い得だよ」とトークを変える。すると「お兄ちゃんが薦めるなら買おうかしら」と売り上げに結びつくんです。
──アルバイトの経験がアキダイの原点。でも卒業後は一度別のお仕事を経験されたとお聞きしました。
秋葉: 高校卒業後は、電気機器関係の企業に就職しました。当時はヤンチャな若者でしたが、先輩からは「高卒で元気のいいやつがいるぞ」と可愛がってもらいました。でも、検査部門に配属されて仕事を覚えるようになると、「給料が安いな」とか「仕事が忙しいな」と不満が生まれてくるんです。八百屋時代の楽しかった日々を思い出し、一度退職して以前アルバイトしていたお店に今度は社員として雇ってもらいました。
そして、22歳で責任者を任されるほどのスピード出世も果たします。仲卸からの信頼も厚く、十年に一度の逸材と言われるようになりました。この頃に独立を意識するようになりますが、やはり八百屋の経験だけではだめだと店を飛び出してしまいます。
約30年前、高校時代の写真と
秋葉: 自分で店を始めたら続けるか廃業するかしか選択肢はありません。ならば一度違う仕事に就いて見て、世の中を広く見たいと思い、松下電器の配達業界に進みました。
仕事は主に電気店を回るルート配送でした。決められた取引先を回る楽な仕事でしたが、数か月もするうちにやっぱり八百屋のことを思い出してしまうんですよね。配送の合間に近所の八百屋をのぞいたり、空き物件をチェックしたりしているうちに、自分の店を持ちたい意欲が湧き上がってきました。本業のルート配送が終わったら、仲卸で週4回、朝3時半から7時半まで青果市場の仕入れを手伝い、ここで野菜の目利きを学びました。
そして、1992年、23歳で一念発起し、西武新宿線の武蔵関駅近くである練馬区関町北の路面店に31.5坪のお店をオープンしました。
──なぜ練馬区の関町北だったのでしょうか。
秋葉: 特段このエリアを狙っていたわけではありません。私は埼玉生まれで東京に土地勘もあまりなく、出店先を探しましたが、若いからか不動産屋には門前払いのこともしょっちゅうでした。吉祥寺エリアで内見しても家賃が高く、さらに補償金が2000万円必要なことも。まったく手が出ませんでした。
会社員時代には一日100円の所持金しか持たない節約生活を続け、数百万貯金しました。でも、金融機関に融資をお願いしてもどこも相手にしてくれません。駅前のいい物件が出ても「貯金を担保にいれたら貸してあげるよ」と。結局は親族に頼み込んで開業資金を調達しました。
──念願の自分の店を持って、立ち上がりはいかがでしたか?
秋葉: オープン当初は全くといっていいほど売れませんでした。この辺りは今でこそ西武新宿線沿線でも人気のエリアですが、30年前はそれほど栄えていなかった。吉祥寺へのアクセスもよく住みやすい環境として人気が出てきたのは、2000年代に入ってからです。
当時は店の前を通り過ぎる人もほとんどおらず、様子を見に来た銀行の支店長が頭を抱えていたほどです。朝に店を開けて午前中の来店客が1人なんて日もありました。
自分には八百屋の才能があると思っていたのに、正直自信を無くしました。「なぜ店を始めてしまったのだろう」と後悔の日々です。店を開けながら「どうしたら今の状況から逃げられるか」と辞める理由ばかり考えていました。
いよいよ覚悟が決まり、「辞めるためにとりあえず1年間やれることを全部やろう」と決意します。店を閉めたあとに後悔のないよう、少ないながらも来てくださったお客様に、感謝の気持ちを伝えようと接客するうちに少しずつ風向きが変わってきたんです。
──どのような変化が?
秋葉: 徐々に新規のお客さんに来ていただけるようになりました。当時、新聞の折り込みチラシは出していなかったので、要因は地道な接客とお客様の口コミです。一人ひとりのお客様に向き合い、可愛がっていただいたおかげで店に活気が生まれ、オープンした3月にはたった10万円だった売上は夏には50〜60万、秋には80〜100万と右肩上がりに伸びていきました。
「辞めるつもりで頑張ろう」と崖っ淵の覚悟がなかったらここまで努力できなかったし、結果も伴わなかったと思います。どん底を経験してようやく一人前の八百屋になることができました。
アキダイの経営哲学とは
──現在の社員数を教えてください。
秋葉: 東京都内を中心にスーパーを出店しており、そのほか、ベーカリーや居酒屋も経営しています。社員は約100人、パート含めると200人の規模になりました。
──秋葉社長が店作りにおいて大切にしていることは?
秋葉: 会社の規模が大きくなり店舗数が増えても「ご来店いただいた一人一人のお客さまに喜んでいただく」というポリシーは変わりません。スーパーは日常生活にかかせない場所ですから、毎日来ても飽きない、楽しい店にしたいと思っています。スタッフにも「お客さんに喜んでもらうお店になろう」を合言葉に店作りをしています。
私たち自身も日々の勉強が欠かせません。最近では、トマトひとつをとっても何十種類と種類があるように新しい野菜の品種も増え、健康志向の高まりから食材のニーズも多様化しています。柑橘類も一時期人気があった伊予柑よりも、皮が薄くてジューシーな「せとか」の人気が高まっていたり。お客様との会話からトレンドを掴み、いち早く売り場に反映できるのは地元密着型の八百屋の強みだと思います。
もちろん、苦しい局面は何度もありました。過去には閉店した店舗もあります。従業員の数が増えて資金繰りが苦しくなり、銀行から借金してボーナスを支払ったこともありました。経営者として何度も大変な思いを経験しましたが、それを乗り越えた先に必ず成長があると実感しています。
私はお金儲けのために八百屋を始めたわけではありません。接客の喜びからアキダイは始まりました。苦楽を共にし、店を支えてくれるスタッフも「アキダイが大好き」と言ってくれる大切な仲間です。今では、彼らが幸せになるために何ができるかを考えながら仕事をするようになりました。
──組織づくりにおいて大切にしていることは?
秋葉: やはり良いものをできるだけ安く仕入れ、お客様にできるだけ安く提供したいので、従業員のスキルを上げ少数精鋭での運営を心がけています。通常のスーパーなら5人でやる仕事を、うちでは3人で回すのが普通です。スーパーは野菜部や果物部、食品部にレジなど部門が分かれているケースが多いですが、私も仕入れから荷運び、テレビ局の対応までなんでもやっています。
それから私自身、スタッフからの意見は積極的に聞いていくようにしています。店舗には女性のスタッフも多く活躍していますが、お客様目線の意見やアイデアが売り場でも役立っています。経営者は周囲の声に素直に耳を傾けることが大事ですね。
これからも苦労を全部仕事の糧にしながら、目の前のお客様に優しく接していきたいですね。地道な行いが巡り巡って、いつか新しいお客様を呼んでくれるのだと思います。
(取材・文:星 久美子 撮影:渡辺 健一郎 編集:上野智)
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