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連載:第6回 慣習に囚われない 改革の舞台裏

トヨタ仕込みのロジックと、親父ゆずりの情熱。ものづくりで新たな価値を世界に発信したい

BizHint 編集部 2020年2月12日(水)掲載
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1962年創業の堀田カーペットは、耐久性と機能性に優れる英国生まれの伝統的製法「ウィルトン」を守りつづける、全国でわずか数社のうちの1つです。職人の高い技術が要求されるウィルトンは高級ホテルやブティックに評価される一方、低価格の量産品に押されシェアは僅か1%未満。堀田カーペットも不景気の煽りを受け、かつては経営の危機にありました。 そんな家業に飛び込んだのが、幼い頃から父の仕事ぶりを見て育った三代目、堀田 将矢さん。調達担当として活躍したトヨタ自動車を退職し、現在は家業と業界の復活に取り組んでいます。世界的メーカーとのギャップや父との衝突に苦戦しながらも、トヨタで培った経験を活かし、過去最高の売上を達成するまでのエピソードと、今後の展望を伺いました。

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堀田カーペット株式会社
代表取締役社長 堀田 将矢さん

1978年大阪府生まれ。北海道大学経済学部卒業後、2002年トヨタ自動車株式会社入社。2008年に家業である堀田カーペット株式会社に入社。2017年2月、3代目代表取締役社長就任。2016年に立ち上げたウールラグブランド「COURT」は様々なメディアに取り上げられ、全国の家具店や雑貨店で販売されている。2015年に竣工した自邸「カーペットの家」を拠点に、「カーペットのある暮らし」の啓蒙活動を続けている。


この記事でわかること

  1. 大手企業での経験は、中小企業でどう活きるのか?
  2. 卸などの仲介業者を通さず、自社製品を世界に発信するには?
  3. 社員と共に、熱意と誇りを持ってものづくりに邁進するには?

後継者として大切な経験は、世界的メーカーで培われた

――堀田さんは家業である堀田カーペットへの入社前、トヨタ自動車に入社されています。同社でのご経験についてお聞かせいただけますか?

入社のきっかけは、軽いものでした。私は北海道大学で学生時代を過ごしましたが、就職活動の時期になっても、やりたいことも志望先もなく、サッカーに明け暮れていたんです。

トヨタ自動車にエントリーしたのも「リクルーターからおいしいご飯を食べさせてもらえるよ」と仲間から誘われたから。将来に対する大きな意志もないまま運良く内定まで進みましたが、当時は就職氷河期で札幌での倍率が50倍だったと、あとから知って驚いたくらいです。

しかし、今になってみるとトヨタに入って本当に良かったと思いますし、当時の経験が堀田カーペットの経営にも大きく2つの点で役立っています。

1つは、 事象の背景を「なぜなぜ」と深く掘り下げ、理解しようとする癖がついた こと。

私は調達部に配属され、タイヤ以外のゴムやガラス部品の仕入れ担当になりました。トヨタでは担当する部品については、入社1年目であっても誰よりも詳しくて当たり前。「どの企業が一番良いものを一番安く作れるのか。なぜそれができるのか」をすべて把握して、説明できることが求められました。

例えば、ある部品を買い付けようと上司に決裁書を持っていっても、金額やその背景を納得させることができなければ、ハンコを押してもらえない。いわゆる「コンペ」もそう簡単にはやらせてもらえません。「コンペ」は数社に同じ図面で見積もりを取って、一番安いところに発注するというやり方ですが、「コンペをします」というと、上司からは

「コンペをして一番安いところから買う、というだけなら誰でもこの仕事を任せられるよね? あなたはバイヤーとして日々仕入れ先さんと向き合い、現場を見て、この図面であればどの会社が一番安く、早く、安定的に供給してくれるのか?分かっていなければおかしい」

と言われ、「なぜコンペが必要なのか?」説明できない限りやらせて貰えませんでした。

担当する部品の予算は何百億円レベルなのでプレッシャーもあったし、辞めていく同期もいたけれど、「ゴムやガラスだったら日本で一番知っている」と言えるくらいに猛勉強して場数を踏んでいきました。

そのお陰で、どんなときも「なぜ」という疑問を持つ癖ができ、事象の背景まで理解できるようになりましたね。

――厳しい職場ですが、やりがいがあったのですね。

そうですね。「もう一度新卒で就職するなら、絶対にトヨタが良い」と思うほど、当時の経験は私の大きな力になっています。

トヨタでの経験でもう一つ大きかったのは、「リコール問題」に携わったことです。

当時、私の担当していた部品で大規模なリコール問題がありました。ちょうど同じくらいのタイミングで他社のリコール隠しが発覚して、社内でも大きな話題になっていたときです。私は全社の会議に調達部のバイヤーとして出席しました。「ものづくりに携わるほぼ全ての部署」といっても過言ではないくらいの規模で、50名以上が出ていたと思います。

設計からは対策品についての説明、工場からは生産の状況、営業からは今後の販売予測、物流からは対象車種がどこにどんな状態であるのか?各部署が的確に状況を報告するなかで、私は調達として対策品をいつどれくらい納品できるかを報告しなければなりませんでした。

当時感じたのは、 問題が起きるとすぐにこれだけの人達が動きはじめ、その解決に当たっていくというダイナミックさ。そして、そこに込められた責任の重さ です。それぞれが正確に状況を把握し、決裁者に判断を委ねる。「組織が正常に機能している」と感じましたし、この会社にはリコール隠しなど絶対にありえないな、とも感じました。

こうした「組織が正しく機能している」と感じられる光景を目の当たりにした経験も、堀田カーペットで目指す経営には少なからず影響していると思います。

幼き日に見た父の姿が背中を押した。トヨタを退社し家業を継ぐ

――トヨタで充実した日々を送っていた中、なぜ家業への転職を決意したのですか?

ある時、父から突然「ウチを継ぐのか継がないのかを決めてくれ」という電話がかかってきたんです。

トヨタはヒトも待遇も良く、仕事も楽しかったので、辞めたいと思ったことがなかった。でも実は、父と仕事をしてみたいとも考えていました。 昔から、僕の家では父が楽しそうに仕事の話をしていたのを覚えています。 具体的なことはよく分からなくても「仕事って楽しいんだな」「堀田カーペットって良い会社なんだな」と漠然と思っていました。

とはいえ、すぐに辞める決断ができたわけではありません。その電話からの1年半は、モヤモヤしっぱなし。 入社7年目に入り、15名所属する部署で年長になっていましたので責任もあったし、部長からも辞めないでくれと引き止めていただきました。でも、 最後は「親父と働く時が来たのだ」と退職を決意しました。

思えば、社会人になってからは、自分の仕事の話を父に聞いてもらっていましたし、「親父がトヨタの社長だったら、ここでどんな決断を下すだろう?」なんて、現実的でない事を考えたりもしていました(笑)。

それに、昔から「こんなブランドをやり始めた」とか「糸の特許を出した」とか、父が楽しそうに話すのを聞いていたから、最後はそんな記憶が背中を押したんだと思います。

――実際に堀田カーペットに入社されてみて、お父様の経営に対する印象はどう変わりましたか?

堀田カーペットに入社してみてわかった父のすごさは「ものづくりに対する執念と知恵」「世の中にないものを産み出してやろうという思い」ですね。その熱い思いには、周りを自然と良い方向に巻きこんでいく力があるのだと感じました。一方でアンチもしっかりいます。この部分は、今でも父には勝てないと思っていますし、これからも勝てないような気がしています。

一方で、よく有る話ですが「良いものを作っているけど売れない」「良さが伝わっていない」という点に関しては、全然ダメだなと思いました。だから僕は入社してすぐに「ブランディングしか生き残る道はない」と思うようになりました。

ただ、当時僕が「ブランディング、ブランディング」と父に言っていたとき、これは「親子あるある」だと思いますがメチャクチャぶつかりましたね。

中小企業経営者だからこそ求められるもの。家業で痛感した自分の無力さ

――家業である「堀田カーペット」に戻られて直面した苦労について、詳しくお聞かせください。

堀田カーペットは、1962年に祖父が大阪府和泉市で立ち上げた会社です。カーペットには、18世紀にイギリスで発明されたカーペット用織機ウィルトンでウールの経糸と横糸を織り上げる「ウィルトンカーペット」と、ファブリックや樹脂を貼り合わせて布に縫い付ける「タフテッドカーペット」の2種類があります。

ウチでは創業期から、糸から開発してウィルトンカーペットを製造しています。量産を目的とした低価格帯のタフテッドと比べると、ウィルトンは高い耐久性と機能性が評価されており、有名な高級ホテルや高級ブティックに卸すため、職人の高い技術が要求されます。私が父から電話を受けた当時、世の中のカーペットでは99%がタフテッド。ウィルトンを作っている企業はウチを含めて日本に数社という状況でした。


熟練の職人達は、50年前に作られたウィルトン織機をメンテナンスしながら大切に使用している。ウィルトン織機を作っている会社は現在、世界でもヨーロッパの数社だけ。

過去の決算書をチェックしたり、父から業績が好調だと聞いたりして「悪くはないんやな」という印象を持っていました。ところが、その半年後にリーマンショックが起き、不景気の波が直撃しました。

ただでさえカーペットの需要は1980年代と比べて1/100に減少し、多くの工場が廃業へ追い込まれています。ウチでも織るものがなくなり、社員達に日給を払えなくなって「一日休んでほしい」と頼み込むありさまでした。何より、そんな状況を目の前にして、何をすれば良いのかが分からない自分にショックを受けましたね。

今になって思うと、トヨタ時代は担当部署として課題を洗い出し、それを関係者に相談して問題を解決していた。悪い言い方をすれば「課題を見つけること」が仕事になっていたんだと思います。実際に手を動かすのは、現場の方であり、仕入れ先さんであり、他部署の方だったりしたわけです。

当時、ウチの会社には組織が存在せず、社員の担当も曖昧でした。そこで私は、前職で鍛えられた論理的思考能力と問題解決能力を駆使して「組織改革」に着手しようとしたのです。「あるべき姿と現状の乖離で生じた課題」を漏れなく洗い出し、 社員を呼び出して会議でバーンと提示して改善を呼びかけました。でも、笛を吹けど誰も踊らず。社員からは「はあ…」という反応しかありませんでした。

中小企業には課題が山ほどあります。正直、見つけようとしなくても、誰でもすぐ気づくような課題も沢山ある。じゃあ、誰がいつそれを解決するのか?どうやって解決したことを維持改善していくのか?そこにマンパワーも知恵も足りないというのが実態なんです。

トヨタ時代の自分は、担当領域のプロでありさえすれば良かった。しかし 中小企業の経営者というのは、ありとあらゆる知識や知恵が必要 なのだ、と痛感しました。

もう一つ、痛感したのは社員とのコミュニケーションの大切さです。トヨタ時代はそれぞれのプロがおり、担当領域をやり切る力も知恵もあるので、自分がやるべき事さえやっていれば仕事が回りました。しかし堀田カーペットでは「やる!」ということをしっかり説明しないと、日々の業務に追われてなかなか改善が進まないし、無理に進めようとしても歪みが生まれてきます。ですから僕がどんなことを思い、何をしようとしているのか?社員とできる限り細かくコミュニケーションを取ることを意識するようになりました。これをしっかりやらないと、物事がまったく前に進まないことを痛感したんです。コミュニケーションの大切さ、それと同時に「自らがやり抜くことの大切さ」も実感しています。

難航するブランド立ち上げ。試行錯誤の中で問われた経営者としての覚悟

――先代社長との衝突や、大手と中小企業の違い。そうした壁を乗り越えられたきっかけは何だったのでしょうか?

リーマンショックの余波が続く2011年、堀田カーペットは売上が4億3000万円と過去最低を記録しました。

堀田カーペットの強みはまちがいなく「ものづくり」「良いものを作っていること」にあると考えていましたので、それをいかに伝えるか?という観点でブランディングに力を入れ、コンサルタントの方に入っていただいていたのですが、父はまったく信用せず「コンサルに何ができるねん!」と常にぶつかっていました。

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