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連載:第4回 成長企業 社長が考えていること

「どんな時にも、明るく楽しく、元気良くで乗り越えられる」【すしざんまい・木村清社長】

BizHint 編集部 2019年5月7日(火)掲載
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最近、お正月の風物詩となりつつあるマグロの初競り。 2019 年にはすしざんまいを運営する株式会社喜代村が 3 億円以上の高値で競り落とし、みんな度肝を抜かれた。 そんな思い切った行動にも、思わず納得してしまうのが マグロ大王の異名を取る同社社長の木村清さん。 その人生と経営についてお話を伺った。

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置かれた立場で何ができるかそれを考えることが大事

刀かと思えるぐらいの長い包丁を使い、マグロを豪快にさばくこの方の姿を、テレビなどで目にしたことのない人はいないのではないか。テレビ画面からはみ出さんばかりに満面の笑みを浮かべる、株式会社喜代村代表取締役社長・木村清さんだ。あの明朗会計、選りすぐりのネタを格安で食べられる「すしざんまい」の経営者である。しかし、その笑顔の裏に意外な人生があった。

「私が四歳の時、親父が事故で亡くなりました。おふくろは私と姉ふたりの三人の子どもを抱え、大変だったと思います。しかも親父は、なぜか二千万もの借金まで残して逝ったんですから。でも、おふくろは愚痴ったりはしませんでした。体は健康だし、畑も田んぼもある。だから返せると。本当に貧乏でしたよ。身に着けているのは、つぎはぎだらけの洋服でしたが、汚れたものは着せてないと言ってね。そんな母に生活保護を受ければ良いという人もいましたけれども、他人のお金で子どもは育てられないと、きっぱり断るような人でした」

そんな気丈な母親でも、子どもを連れて利根川に行き、生活苦から命を絶とうと思ったことがあったようだ。

「でもね、私が元気に笑っているから、おふくろは思いとどまったらしいです。『清に救われた』ってよく姉に言われましたよ」

中学を卒業するとき、学費が払えるような状態ではなかったので進学を諦めた清少年は、教師の勧めもあって自衛隊に入隊する。これで父の葬儀で米軍の戦闘機を見たときに決意したパイロットになれると思った。過酷な訓練に耐えるも、中卒ではパイロットになれないとわかれば、通信教育で大検に合格、血の滲むような努力を続けたけれども、その夢は不慮の事故で目の調整力が低下したことにより、潰えてしまった。

「挫折といえば挫折ですが、そういうことは世の中にはいくらだってある。お先真っ暗だと言って悩んだり、愚痴ったりしても何も始まらないじゃないですか。 おふくろがいつも言っていたように、健康な体さえあれば、なんとかなる。状況を良く見るか、悪く見るかだけ。 考え方次第なんですよ」

失意の中で自衛隊を退官したのが二十歳の頃。その後、退職金で買った株で儲けたり、弁護士を目指し、司法試験にチャレンジするなどした後、水産業に携わるようになった。それが築地、そしてマグロとの付き合いの始まりだ。

「波瀾万丈の人生ですねとは、よく言われます。でも、どんな時でも自分が置かれた立場で、最大限何ができるのかを考えることが大事。まあ、人間だから落ち込んだり悩んだりすることはありますよ。私だって、夢破れて山河ありなんて言いながら、ぐでんぐでんに酔っ払うことも時にはありました。それを二、三回すれば気が済むでしょう。そうしたらガラッと気分を変えて、今やれることをすればいいんです」

水産業に携わるようになり、やがて独立して「木村商店」を創業。さまざまな事業を手掛け成功を収めたが、バブル崩壊にメインバンクの裏切り。不運が続いて資金が尽きる。

「そんな時、 友人たちが無利子でお金を貸してくれました。あなたにはマグロの夢があるんだから、そのために使ってくれと。 嬉しかったですよ。良い仲間がいるんだから、事業を続けるべきだという妻の言葉にも背中を押されて、一軒の寿司屋を作りました」

客席7割ではダメ、並んででも入りたい店に

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