連載:第48回 IT・SaaSとの付き合い方
顧客管理ができず事業が頭打ち。中小が取り組んだDX、なぜ第一歩がHubSpotだったのか?


「お客様とのやり取りの履歴はメールを遡って探していた」「顧客管理ができておらず、新規開拓ができる組織状態ではなかった」と語るのは、歯科医院のホームページ制作や情報発信をサポートする有限会社イヴニングスターの西谷美和社長。コロナ禍を遠因とした業績見通しの不安から営業強化を志向するも、長年続いたアナログ業務によるリソース切迫がそれを妨げていました。そんな中、とあるきっかけからDX推進に舵を切り、業務効率化、従業員との分業、営業推進・業績向上、さらにはウェルビーイングにもつながったと語ります。そこで大きな役割を果たしたのが、顧客管理やメルマガ・マーケティングの支援ツール「HubSpot」。選定の背景や、定着の経緯について伺いました。

(お話を伺った方)
有限会社イヴニングスター
取締役社長 西谷 美和 さん
従業員 愛知さん
(静岡県浜松市 / 歯科医院向けマーケティング支援 / 従業員2名)
※本記事は2024年11月の取材に基づいて制作しております。各種情報は取材時点のものであること、あらかじめご了承ください。
メールを遡って取引履歴を確認。「顧客管理」ができていなかった
――貴社は現在、顧客管理や販促・営業活動にHubSpotを活用されていますが、もともとどういった課題があったのでしょうか?
西谷美和さん(以下、西谷): 課題としては「顧客管理がまったくできていなかった」ことです。
当社は2005年の創業時から、歯科医院のホームページ作成・運用や集客支援を行っているのですが、月額課金のサービス形態なので毎月ある程度の売上は立っていました。また、会社規模も私と従業員合わせて3人なので、あまり積極的な営業活動は行っていませんでした。
ただこれは「積極的な営業活動ができない状態」と言ったほうが正確です。普段の業務は長年にわたって紙とメール、FAX。事務作業がとにかく多く、目の前の作業をこなすことで精一杯。営業活動を行う時間もリソースもありませんでした。
しかし2020年からのコロナ禍で、そうした自社の状況に危機感を覚えることになります。お付き合いのあった歯科医の先生が数名亡くなられ、閉院されてしまったのです。創業時からお世話になっていた先生もいらっしゃいましたし、多くは長年お取引があった方々でした。
「人との繋がりはこんなにもかんたんに消えてしまうんだ…」と寂しい思いを抱く一方で、足元の経営見通しを見ると売上の試算が大きく減っていました。既存のお客様との関係をより深めること、また新規のお客様とのお付き合いを増やしていかなければならないと思いました。
とはいえ「どのお客様と過去にどのようなやり取りがあったのか?」ということを振り返るための仕組みもありませんでしたし、「新規開拓のためのリストや見込み客の情報」すらまったく整理されておらず、何から手を付ければよいかわからない状態でした。
――以前の顧客管理はどのような形だったのでしょうか?
西谷: 一応、顧客名簿としてのExcelはありましたが、やり取りの履歴などはわかりませんでした。その都度、メールを検索して見返していましたね。
当時は既存顧客で60件、過去にやり取りがあった所を合わせても300件ほどだったので、そのような運用でも人力でギリギリできてしまっていたんですよね。仕組みを変えようと考えることもありましたが、変化の負荷と現状維持を天秤にかけた時に「まだ現状のやり方でいい」という判断を続けていました。
DXは大企業がするものだと思っていた
――顧客管理の仕組みを作るために、まず何から取り掛かったのでしょうか?
西谷: 顧客管理に限らないのですが、そのような状況を好転させるために何をすればよいか、どんなことができるかがわからなかったので、いろいろなセミナーや勉強会に参加しました。その中で大きな転機となったのが、浜松市の商工会議所で開催された「DX経営塾」です。
当時、DXという言葉は知っていたものの、大企業がやるものだと思っていましたので、自分には無縁な遠い世界の話だと感じていました。
しかし、DX経営塾の告知文の中にあった「10回の講義で、DXの最初の一歩を踏み出すきっかけとしていただきます」という一文を見て「当社のような中小企業であっても…習得しなさい!」というメッセージに感じました。今後、企業が生き残っていくのにはDXが必要で、それは大企業だけではなく中小企業も同じ…と。そこですぐに、参加を決めました。
そしてDX経営塾の中で「データをきちんと使いこなさなければDXとは呼べない」という気付きを得て、「データを活用した顧客管理」を進めようと考えるようになりました。
―― HubSpotとはいつ出会ったのでしょうか?
西谷: DX経営塾の中でHubSpotそのものの話は出なかったのですが、「顧客管理」や「営業管理」に関する講義はありました。
そこから講師の方に質問したり、自分でWEB検索をして調べていく中で、各所でHubSpotとSalesforceの話が出てきていたので、この2つを詳しく調べてみることにしました。
――2つのツールの比較・選定はどう進められたのでしょうか?
西谷: 私は「まず使ってみる」タイプなので、HubSpotに用意されていた無料プランを試してみました。一方、Salesforceは無料プランやお試し期間がなさそうだったので、ホームページから問い合わせをして、オンラインで担当者からお話を伺いました。
Salesforceの商談では、まず私がやりたいことをお伝えしました。すると月額2~3万円、従業員含め3人で使うとその3倍ほどかかるとのことでした。たしかに機能は豊富なのですが、Salesforceの利用でそれ以上の利益が得られる確証は持てなかったので、まずは無料で使えるHubSpotに力を入れてみようと決めました。
その後、Salesforceさんからは何度か提案があったのですが、最終的にはお断りしました。途中から、当社のお客様である「歯科医院にSalesforceを広げてほしい」といった相談・提案をされる流れになり、当初の話が逸れていったことはモヤモヤしました。
というのも、仮に当社がお客様である歯科医院に「顧客管理の大切さを伝える側」になったとして、「たくさんのコストをかけなければできません」とは言いたくなかったんですね。「安価なツールであってもうまく活用することで、売上・利益に繋げられますよ」というお話ができたらいいな、と。
そういった思いもあって「まずは無料で使えるHubSpotを自分で使い倒してみよう!」と決めました。お客様に相談された時に自信をもってお勧めできて、また自分でサポートもできればWin-Winになれますので。
書籍を読み、できることから試していく
――HubSpotはどのように使っていったのでしょうか?
西谷: まず『HubSpot大百科』という本を買って、できることを調べました。読んでみると想像以上にできることが多くて面白くなっていき、できそうなことから試していきました。
試行錯誤する中で、今思えば少し困ったのが英語翻訳です。HubSpotの画面は英語が多く、自動翻訳してもよくわからない所がありました。ただ、私はこうしたツールについてはHubSpotしか知らなかったので、当初は「こういうものなのかな?」と思って使っていましたが。
――HubSpotでは具体的にどのような業務ができるようになったのでしょう?
西谷: お客様向けのメルマガ制作・発送業務をまず移行しました。
メルマガはお客様のセグメントごとに内容を最適化して送り分けられるようになりましたし、送信時間の予約ができたり、開封状況が分かるのもありがたいです。
また、資料をダウンロードいただいた方にステップメールを送るなど、接触を増やすために活用しています。それ以前は、一通一通手動で作成・送付していたんですよね……。
そして「顧客カルテ」として活用も進めました。今までは案件ごとの管理だったので、お客様とのお付き合いの濃淡は自分の肌感覚でしか把握できませんでしたが、それが事実ベースで客観的に、また基準を統一してできるようになりました。いわゆる「優良顧客」と呼ばれる線引きも明確になり、そうした層に向けての特別なアプローチもできるようになりました。
また、HubSpotと合わせて、チャットツールであるChatworkも導入しました。HubSpotとChatworkを連携する形で、業務の効率化や社内共有が進みました。
例えば、HubSpotに新規のコンタクトが登録された時に、自動的にChatworkで通知が来るようにしています。これにより、社内全員が「最新のコンタクト登録情報を知っている」という前提で話ができるので、逐一の確認作業や顧客情報の行き違いがなくなりました。
――チャットツールとしてChatworkを導入されたのはなぜでしょうか?
西谷: 歯科医院の業界でよく使われていたからです。当社がそれに合わせれば、双方やり取りがスムーズになりますので。以降、メールやFAXでのお客様とのやり取りを、Chatworkに移行していきました。
もちろん、Chatworkを使われていないお客様もいらっしゃいます。そういったお客様とは、以前のやり方を踏襲しました。
ただ、機を見てChatworkの便利さはお伝えしていきました。「先生のお手間は取らない」「今後はこういうやり方が主流になりそう」「効率化にもなって、カッコイイですよ」とか。お客様との関係性もあるかもしれませんが『じゃあやってみようか』と興味を持っていただける先生は多かったですね。そして便利だとわかれば、そのまま続けてくれます。
最近は歯科医院の現場でも「デジタル化」への課題感、関心は高いです。電子カルテしかり、各所で旧来の運用では立ち行かなくなってきていますので。
従業員に課題を相談したら、分業が進んだ
――HubSpotの導入後、社内にどのような変化がありましたか?
西谷: あくまで計算上ではありますが、私の作業時間は年間290時間ほど削減できました。
HubSpotで手作業を自動化できたことに加え、それを通じた情報の見える化によって、従業員との分業が進んだことが大きいです。HubSpotの活用を進めていくうちに「自分やその従業員しか知らなかった情報」が自然と共有されていきました。
同時にDX経営塾での学びを実践していったのですが、それが驚くほどうまくいきました。その学びというのが「自分が抱えている不安や悩みを言語化して『解決すべき課題』として再定義していく」こと。
私の困りごとを分解して言語化し、従業員に素直に相談するようにしました。「頼るようになった」と言ったほうが正確かもしれません。
以前は「従業員には決まった仕事以外を振ってはいけない」と勝手に思い込んでいました。でも、従業員に相談しているうちに「私にしかできない仕事」と思っていたことでも、いつの間にかやってくれていたり、それを通じて従業員のスキルがみるみる上がっていくのを目の当たりにしました。
そうなるとまた別の相談をする、またやってくれる、どんどん仕事を任せて分業が進む…という循環が生まれました。
――分業した中で特に業績に貢献したものは?
西谷: お客様のホームページ制作でしょうか。以前は私しか作れなかったので、お仕事を受注すると最も負荷がかかるのは私自身。自然と営業活動にブレーキをかけるようになっていました。
しかし従業員がホームページを作れるようになってくれたおかげで、HubSpotによるマーケティング活動の効率化と相まって、私は営業活動に力を入れられるようになりました。
さらには、ホームページのテンプレートを複数用意してカスタマイズするような運用にして制作効率を上げてくれたり、それを使って私の営業提案をしやすくしてくれたり…私の知らない所でどんどん新しい仕組みを作ってくれて、業務効率が飛躍的に高まっていきました。
特に驚いたのは、独学でプログラミングのようなことまで習得してくれたことです。以前は、毎月一回「お客様のホームページの営業・休診カレンダー更新」という手作業があったのですが、『毎月1日になったら自動でカレンダーを更新する』というプログラムを組んでくれて、毎月発生する20~30社分の更新作業がほとんどゼロになりました。
――従業員の愛知さんに伺います。HubSpotの導入をはじめとしたDXの取り組みを通じて、ご自身の中で変わったことはありますか?
愛知さん: 以前は始業から終業までコンスタントに仕事があり、その上で追加の仕事が来ると、業務の後倒しが慢性的に発生していました。時間の余裕はありませんでした。
しかしHubSpotやChatworkの導入・定着をきっかけに、社内のいろいろな業務が見えるようになり、また自動化・省力化の機運が出てくると、それぞれが「仕事を早く、楽にするためのアイデア」を出して少しずつ改良を進めるようになっていきました。
そもそも以前は「仕事を楽にする」という発想自体がなかったんですよね。解決法は「がんばる!」「熟達する!」だけ。
それが「どうすればもっと早くできるだろう?」と考えられるようになった。この「思考の変化」こそが、以前との一番の変化だと思います。
――その他、DXに取り組んだからこそ起こった変化はありますか?
西谷: ウェルビーイングの向上については特に感じています。当社では夏休みなどの長期休みには、会社に従業員のお子さんも一緒に来て、私の子どもと遊んだり、宿題をしたりしていました。
以前は仕事の傍らでその様子を眺めるだけだったのですが、時間に余裕ができたおかげで、空き時間に子どもたちに勉強を教えたり、たこ焼きパーティをできるようにもなりました。子育てと仕事の両立という面でも、好影響が出ていますね。
有料プランが必要になるくらいのリストを持ちたい
――お客様とのやり取りで、変わったことはありますか?
西谷: 普段あまりやり取りがなかったお客様とのコミュニケーションは大きく変わりましたね。以前はそのためにわざわざ時間を割いてメールをお送りすることが難しかったのですが、それができるようになりました。純粋に接点が増えています。
例えば、お客様のホームページについてのメンテナンスやSEO対策など、細かい作業については報告していなかったんですね。それを「こんなことをしています」と一括でメール配信できるようになりました。するとお礼のメールをいただけたり、それをきっかけに新たなご相談をいただけるようになったり。
以前は「よくやり取りするお客様」と「あまりやり取りのないお客様」の区別もできませんでしたし、それに合わせてメールの内容を変えて一括送付することもできていませんでした。それがかんたんにできるようになったことは、マーケティングにおけるデータ活用の典型例だと思います。
お客様や見込み客のセグメントを分け、それぞれに適切なアプローチ・コミュニケーションを行うことが、営業効果や業務効率につながることを実感しています。
――顧客数や売上の変化はいかがでしょうか?
西谷: 現在、顧客数としては70社くらいまで増えていますが、その一方でサポートやコミュニケーションはとても手厚くできるようになりました。
そしてそうしたお客様との関係性の深化から、前述したようにスポット的な案件をご相談いただいたり、コンサルティングの案件に繋がったり、以前では考えられなかった売上も発生するようになりました。
もちろん、そのような新規の相談に応じられるのも、既存事業の生産性が高まり、時間が確保できるようになったことが大きな要因です。
同じ従業員数で、以前より多くのお客様とより深いお付き合いができて、さらに新しいサービスも手掛けられる。まさにDXの恩恵ですね。
――今後について教えてください。
西谷: HubSpotの無料プランはメールの配信が2000件まで(2025年2月現在)なので、それを超えるようになったら有料版に切り替えようと考えています。現在のリストは400件くらいですが、将来的にはその10倍ぐらいは持ちたいですね。
また、HubSpotとNotion(様々な機能が使えるワークスペース)との連携を試すなど、さらなる業務効率化にも取り組んでいます。当社では名刺管理にmyBridgeを使っているのですが、これとHubSpotが連携できると嬉しいなあ…と、情報収集中です。
当社のミッションは「行きたくない」と思われがちな歯科医院の認識価値を上げること。歯科医院は歯の治療だけをする所ではなく、かみ合わせを良くしたり、それによって姿勢や骨格ほか全身の健康を改善できる場所です。
しかし残念ながら、多くの歯科医院は発信力があまりなく、患者さんの減少やスタッフの定着についての課題を抱える所も少なくありません。私たちは、そこをお手伝いしたいと考えています。
そしてより多くの歯科医院のサポートをしようとすれば、当然私たちの仕事も増えます。それをしっかりカバーできるように、業務効率化・デジタル化を進めていきたいですね。
(文:安藤 ショウカ 撮影:杉瀬 宏昌(GRAPHYS))
この記事についてコメント({{ getTotalCommentCount() }})
{{selectedUser.name}}
{{selectedUser.company_name}} {{selectedUser.position_name}}
{{selectedUser.comment}}
{{selectedUser.introduction}}
バックナンバー (48)
IT・SaaSとの付き合い方
- 第48回 顧客管理ができず事業が頭打ち。中小が取り組んだDX、なぜ第一歩がHubSpotだったのか?
- 第46回 【続編】経理・会計ツールを子会社と統一する。kintoneとfreee連携。現場レベルでの確認プロセス
- 第47回 経理・会計ツールを子会社と統一する。kintone連携を軸にした検討・選定の途中経過
- 第45回 紙→kintone→Salesforce。「人依存」からデータドリブン経営へのツール変遷。担当者が考えていたこと
- 第44回 「優秀な部下がいない」上司への処方箋。ChatGPT、外せない3つのポイント