連載:第63回 経営危機からの復活
倒産寸前だった学研のV字回復。19期減収の組織を蘇らせた社長の勝ち筋
かつて子どもたちから圧倒的な支持を得た雑誌『学習』と『科学』。会社は2009年まで19期連続の減収傾向に苦しみ、『学習』と『科学』も休刊を余儀なくされることに。経営陣は自ら「底なし沼」と呼ぶほどの状況でした。そんな同社をV字回復に導いたのが、2010年12月から社長を務める宮原博昭さん。組織をいかに立て直して危機を脱したのか、その経営手腕に迫ります。
株式会社学研ホールディングス
代表取締役社長 宮原博昭さん
1959年生。広島県呉市出身。防衛大学校卒業後、貿易商社を経て、1986年に株式会社学習研究社(現・学研ホールディングス)入社。学研教室事業部長、執行役員、取締役を歴任し、2009年学研ホールディングス(以下HD)取締役に就任。2010年12月、学研HD代表取締役社長に就任。
約20年にわたり、減収にあえいだ学研
――学研という会社がなぜ経営危機に陥ったのか、当時を振り返っていかがお考えですか?
宮原博昭さん(以下、宮原): 最大の原因は、時代の転換期に仕掛けた大きな勝負に勝てなかったということです。
1979年には『学習』と『科学』は月間発行部数670万部を記録。教育関係の雑誌としては業界最大手の地位を確立しました。新たな時代の転換点をとらえ、創業から40年以上にわたり右肩上がりの成長を続けていきます。
ところがバブル崩壊などの時代の変化を受けるとともに、共働き世帯の増加によって訪問販売が難しくなっていきます。
また、DX(デジタルトランスフォーメーション)の波にも乗り遅れました。通信教育事業に取り組む企業が現われる一方で、学研は膨大な顧客データを持つにもかかわらず、データベースを活用した事業に挑戦しなかった。その後も、映画事業など新規事業に挑戦するもことごとく失敗しました。逆転の目を出せないまま1991年から約20年にわたる減収が続いたという認識です。
停滞局面の20年で、最高で1300億円あった内部留保はほぼゼロに、そればかりか150億円もの借金を抱える窮地に陥りました。
しかし、危機感を抱いていたのは役員だけ。社員にしてみればボーナスは満額支給されていたし、昇給も続けていたので「天下の学研が潰れるわけがない」と、誰も危機感を抱かない“茹でガエル”の状態だったと思います。
そのような危機的状況のなか、あるとき遠藤前社長から呼び出しを受けました。社長室に入ると、「君に次を任せたい」との話があり、「やります。全力で闘います!」と即答しました。ただ、役員のなかでも最年少の私は本来社長になるべきポジションにありません。
「どうして私なのですか?」と遠藤前社長に尋ねると、「お前は唯一逃げないからだ」と言われました。
私が逃げたら社長になるものは誰もいない。逃げたら倒産という局面を遠藤前社長はよく理解されていました。
防衛大仕込みの徹底したプラン管理
――社長就任後、どのような経営再建プランを建てられたのでしょうか?
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