連載:第57回 組織作り その要諦
創業から赤字のダメ組織。不良社員を「お客様を感動させる組織」に変えたルールづくり
創業以来赤字が続き、社員は言うことを聞いてくれない。仕事中に飲酒をしている社員も…。そんなボロボロの状態のいばそう企画に入社したのが、2代目となる林 三弘さんです。目の前の状況を打破すべく、入社4年目で社長を交代。財務コンサルの方にある指摘を受けたことで目が覚め、正しい経営への第一歩を踏み出します。そして、10年という歳月をかけ改革に挑み、「お客様を感動させることのできる組織」に変貌を遂げたそうです。改革のカギは「ルール」。具体的にお話を伺いました。
いばそう企画有限会社
代表取締役 林 三弘さん
1987年に現会長の林 章二氏が起業した「いばそう企画有限会社」に入社。1998年に社長に就任。仏花専門生花店CEO、全日本葬祭業協同組合連合会 茨城中央葬祭業協同組合の理事長なども務める。
「どうしようもない状態」父からのSOS。経営を引き受けた2代目の覚悟
――入社した経緯を教えてください。
林 三弘さん(以下、林): 当社は、子供向け学習教材販売のフランチャイズ事業を行っていた父が、「これからは少子高齢化がスタートして多死社会がくる」という話を聞いて新たに立ち上げた会社です。
そのころ私は茨城の別の会社で働いていたのですが、創業後しばらくして父から「今の会社がどうしようもないから手伝ってほしい。」と言われたんです。その職場で結果を出すこともできたので、新しいことに挑戦するいいタイミングかなと思って30歳のときに家業に入ることにしました。
――入社した当時、会社はどのような状況でしたか?
林: 経営はめちゃめちゃでした。会社は創業以来ずっと債務超過が続き、父の蓄えで何とか持ちこたえている状態でした。
それに、社員は好き勝手にやっていて、身だしなみはだらしない、仕事中にビールを飲んだり麻雀をしていたり。さらに、姿が見えないなと思うと会社の前の公園でゴルフクラブを振っているんです。まるで、昭和の不良漫画のような環境でした。
――なぜ、そこまでひどい状態だったのでしょうか? 林: そもそも、彼らは父が麻雀仲間や知り合いを誘って入社してもらったんです。それに、父は気のいい人間で、声を荒げることはしませんでした。
また、父の目が届いていない時間が長いこともそれに拍車をかけていました。
私も何度か苦言を呈したのですが、本人たちは私に対しても「働いてやっている」「お前の親父に頼まれていてやっている」と悪びれもしませんでした。
――そのような状態のなか、どのような経緯で社長になられたのでしょうか?
林: 父一人が病院でペコペコ頭を下げているのを、これ以上見ていられなかったんです。
会社を良くするには、自分が社長になって、会社の赤字も社員もすべて引き受けて責任を持つ覚悟でないと変えられないと思いました。
両親と食事をしている最中に「俺、社長やろうと思うんだよ」っていう話をしたんですよね。「借金は毎月増えている状況じゃん。このまま続けていたら、俺が継ぐときに借金が今よりもっと増えちゃうから、今のうちに社長をやりたいんだ」と話しました。
予想通り父は無理だと言うわけですよ。「30歳そこそこの人間に社長なんかできるわけねぇだろう」と。ただ、会社の状況を知っていた母が口添えしてくれたこともあって、次の日に社長に就くことにしました。
最初こそ反対されましたが、父のすごいと思うところは一度社長を譲ってからは経営に口を出すことは一切なかったことです。
後から聞いた話ですが、社長になった私の強烈な改革に反発した社員が父に「あれもこれもやらせる。とんでもない息子だ」と泣きついたことがあったそうです。それまで社員の振る舞いに対して何も言わなかった父なら、間に入ってくれると考えたのでしょう。しかし父は母と一緒に「いや、息子の言うことを聞いてくれ」となだめてくれていたそうです。
ルール改定を繰り返し、10年かけてたどり着いた社員教育
――最初にどのように改善しようと思われたのですか?
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